虚け者のぼやき


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 人生を感謝し、少し謙虚に生きよう。而、己の幸運を數へて見れば、其の數は更に増であらう。と何かの書に有るのを見た。
 吾が人生を顧みれば、幼少の頃から數多の教へを戴き、亦、返す事の出來ぬ恩を受けて來た。
 現在ある己は、其の恩惠に依りあると云つて過言ではない。
 思ひ起せば小學校三年時分、大和小中學校は北海道勇払郡穗別町と夕張市登川との中間に出來た大和炭礦に稻里小中學校の分校として開校された。
 其の、分校へ通ふに皆が住む炭礦集落から泥んこ道を葯一里(四キロ)、歩かなければ成らなかつた。惡戲盛の小僧共四、五十人は、道すがら畑の作物を取り食べながら通ふのが常と成つてゐた。尤も全てが取つてゐた譯でも無く、その中の十人程が取つてゐたであらう。
 農家の方にして見れば小僧共は、畑を食ひ荒す害獸にも増して始末に惡い存在であらう。害獸であればそれなりの對策が出來るが、惡戲小僧共は害獸對策の柵、其の他を掻い潛り作物を食べて行くのだ。取つたものが不味ければ捨てて、次の物へと手を伸す。
次から次へと食ひ荒すのである。而も分校への往き還りの行動であるから始末に惡い。
 或る日の歸り道、同級生村●英治の母親、村●禮さん(當時、英治のオバサンと呼んでいた)に呼び止められた。
 愚生等害獸小僧共は、畑の作物を食ひ荒した事は充分自覺してゐる故に、オバサンに叱られると内心震へ上がつてゐた。
 然し、オバサンの口から出た言葉は、「芋とトウキビが茹で上つたから食べて行きなさい」であつた。
 鱈腹食べた後、オバサンは「あんた達ね、畑のものを取らないでね、欲しいものがあるなら云ひなさい。畑のものは農家の人が汗水流して、命懸けで作り育ててゐる物だから無闇に取つちや駄目だよ」と云はれた。
 愚生等はてつきり大目玉を喰ふものと覺悟してゐたが、一言も取つた事を咎められる事は無かつた。以來、歸りに、トウキビや芋を貰ひ食べながら樂しい歸り道の思ひ出が出來、未だ忘れられない。
 ただ惡い事と叱るよりも、ずつしりと心に重く響た教へをして頂いた。其の教へには今も感謝を忘れる事はない。
 高校卒業後、村●英治へ盆暮の挨拶状を出すものの一切の返事はなく、母親の禮さんから申し譯ないと云ふ書状を戴き、其以來盆暮の挨拶状は禮さんへ送つてゐた。
 村上禮さんは平成二十年三月二十三日九十歳で亡くなつたが、亡くなる六、七年前老人ホームへ入つてゐる事を聞いた爲め妻と逢ひに行き、子供の頃の御禮を四十年ぶり傳へる事が出來た。以來、時時逢ひに行つてゐた。
 此年の七月洞爺湖サミットが行はれた。一時期愚生が發行した機關紙建設の詞、取材の爲三月十五日洞爺湖を訪れた際。今思へば蟲の知らせとでも云ふのであらうか、同行してゐた妻が「また何時來る事が出來るか解らないから、禮さんに逢ひに行きたい」と云ふ。少し遲くなつてしまつたが、夕食の最中にホームに着いた。林檎の皮を器用に剥いて振舞つて戴き、とても九十歳には見えぬ程元氣な姿を見る事が出來た。
 其の時に撮つた寫眞を送つた所、英治の兄嫁より聯絡があり「寫眞は戴きましたが母は寫眞を撮つて頂いた八日後に亡くなり、殘念ながら視る事は出來ませむでした」電話の向うで微かに聞えるやうな感覺で聞いた。
 何か現實から離れたドラマでも見てゐるかのやうだつた。つい先日御逢ひした時は顏色も良く元氣にしてゐた。歸幽去れたと云ふ事が信ずる事が出來ず「嘘だらう」と云ふ感覺であつた。然しあの時行つて良かつた禮さんが靈感の強い妻を呼んでくれたんだらう。此が人の別れと云ふものかと痛感させられた。
 もう一人愚生の人間構成に大きな影響を與へた人物。
 小學校五年頃、家庭科の内田先生が、指示したものを勘違ひし、全くと云ふ程に理解せず叱られた。叱られた事に反撥し不貞腐れ家へ歸つたのだ。家へ歸ると母に酷く叱られ、デレキ(石炭ストーブの灰を掻出す鐵製の棒)で毆られ學校へ連れもどされた事が有つた。
 勘違ひをしてゐるので、當然、己が正しい事をしてゐると思つてゐるにも拘らず、何故に叱られなければ成らぬのか、更に不貞腐れ、大人への不信感を持つてしまつたのだ。
 大和小中學校、大●勘太郎校長先生の奧樣
ヨシさん、當時は同級生の母親でもあり大●のオバサンと呼んでゐた。
 其の大●ヨシさんが、廊下の隅で不貞腐れてゐる愚生に、母が何故叱つたのは、「自分が正しいと信ずるなら、不貞腐れる事無く正しいと主張し、逃げ歸るやうな事をするな」と云ふ事だと諭された。
 亦、内田先生が叱つたのは、指示した事を、確り愚生が聽き理解しなかつた事を、叱つたのであり決して只只感情にまかせ叱つたのではない。と諭してくれた。
 先生も母も解るやうに説明はしてくれなかつた。にも拘はらずオバサンは、全てを見てゐて一つ一つ愚生に解るやうに諭してくれた。感謝しても感謝しきれぬ教へを受けたのである。子供であつた愚生は御禮も云はず、數十年が經ち同級生からの訃報が年末に屆き愕然とした。あの時の御禮が云へてゐないと云ふのが、腦裏を掛けめ繰り居ても立つても居られず、三月に成つてしまつたが北海道は雪の爲め、墓參りは出來ない事は解つてゐ、然し、兔に角御禮を云はねばと同級生に頼み佛壇に參らせて貰ふ事にした。圖らずも御墓に手を合はせる事が出來たのは、翌年の彼岸だつた。
 村●禮さん、大●勘太郎校長先生の奧樣ヨシさん、己の人間構成に大きな教へを戴き歸す事の出來ない教へを受けた。

 人生樣樣な事が有つたが、足を向けねることの出來ない恩も受けた。
 昭和五十三年頃、九州通ひの仕事を始め長崎縣島原半島より松尾氏の紹介にて歸り荷を手配して戴く事に成つたが、松●氏の弟松●健二氏に更に高條件の仕事を手配して戴けた。
 當時、松●健二氏は島原半島千々石漁港の水産輸送業務を擔當する山健水産を經營。
 愚生の歸り荷だけの爲めに、松●氏の實父が北串農協幹部であつた事から、農協の關東向け荷物を直接貰ふ事が出來た。以來、樣樣な事に於て葯四十年、松●一族とは家族包みで懇意にして頂いてゐる。

 昭和五十五年から六十二年まで中●寿一氏の運轉手をしてゐたが、車を讓り受け獨立する際、銀行に融資を受けやうとしたものの審査が通らず受ける事が出來なかつた。
 當時仕事の先輩であつた渡●愼一氏が、驚く事に自分の家を擔保に入れ愚生の保證人となり、融資を受ける事を銀行に承諾させたのだ。
 保證人と成つて貰ふ事すら難しい時に、家を擔保にするなど有り得ぬものである。其の時、自分の家を擔保に入れた事は聞かされてをらず、後に銀行員に聞かされ非常に驚いたものである。此人にはどんな事が有つても足を向けて寢る事は出來ないと思ふ。
 獨立後數年が經ち、商賣も起動に乘つた頃、渡●さんへ御禮と思ひ三十萬圓を握り、夜の横須賀へと誘つた。一件目を愚生が會計しよふとした時、渡●さんが激怒し「秀、御前そこへ坐れ」と大勢の人前でフロァーに正坐させられいきなり毆られた。何がなんだか解らず幾らなんでもと腹が立つたが、逆つて良い相手では無い。次へ行くぞと云はれ附いて行くが正直云へば面白くない。
然し、渡●さんは「俺は御前に驕つて貰はなくても呑める。御前が人に驕る事が出來るやうに成つたのなら、何故後輩や呑みに行けない奴にしない」と云つてゐた。同行してゐた友人が「秀ちやん御前は渡●さんの恩に報いやうとしたのは解るが、渡●さんは御前から見返など求めてゐない。其なのに金で返さうとした事に怒つてゐるだぞ」と云はれ武士道「見返を求めず死ぬ覺悟」を身體で教へられた。「情は人の爲ならず」目の當たりに見せられ唯唯感動し身が震へた事は忘れない。
 數十年が經ち、未だ渡●さんと呑みに出た時は愚生に會計をさせて貰へてゐない。
 愚生も人と爲りが此のやうな人に成れば恩の一部でも返せるだらうかと思つてゐる。


 此の世に、命懸けで産み育ててくれた兩親への感謝は

當然乍ら、己を取卷く恩人知人への感謝は忘れる事無か

れ。


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by iamhide3897 | 2017-08-14 13:42 | ぼやき | Comments(0)