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カテゴリ:ぼやき( 71 )

感謝

感謝

 人生を感謝し、少し謙虚に生きよう。而、己の幸運を數へて見れば、其の數は更に増であらう。と何かの書に有るのを見た。
 吾が人生を顧みれば、幼少の頃から數多の教へを戴き、亦、返す事の出來ぬ恩を受けて來た。
 現在ある己は、其の恩惠に依りあると云つて過言ではない。
 思ひ起せば小學校三年時分、大和小中學校は北海道勇払郡穗別町と夕張市登川との中間に出來た大和炭礦に稻里小中學校の分校として開校された。
 其の、分校へ通ふに皆が住む炭礦集落から泥んこ道を葯一里(四キロ)、歩かなければ成らなかつた。惡戲盛の小僧共四、五十人は、道すがら畑の作物を取り食べながら通ふのが常と成つてゐた。尤も全てが取つてゐた譯でも無く、その中の十人程が取つてゐたであらう。
 農家の方にして見れば小僧共は、畑を食ひ荒す害獸にも増して始末に惡い存在であらう。害獸であればそれなりの對策が出來るが、惡戲小僧共は害獸對策の柵、其の他を掻い潛り作物を食べて行くのだ。取つたものが不味ければ捨てて、次の物へと手を伸す。
次から次へと食ひ荒すのである。而も分校への往き還りの行動であるから始末に惡い。
 或る日の歸り道、同級生村●英治の母親、村●禮さん(當時、英治のオバサンと呼んでいた)に呼び止められた。
 愚生等害獸小僧共は、畑の作物を食ひ荒した事は充分自覺してゐる故に、オバサンに叱られると内心震へ上がつてゐた。
 然し、オバサンの口から出た言葉は、「芋とトウキビが茹で上つたから食べて行きなさい」であつた。
 鱈腹食べた後、オバサンは「あんた達ね、畑のものを取らないでね、欲しいものがあるなら云ひなさい。畑のものは農家の人が汗水流して、命懸けで作り育ててゐる物だから無闇に取つちや駄目だよ」と云はれた。
 愚生等はてつきり大目玉を喰ふものと覺悟してゐたが、一言も取つた事を咎められる事は無かつた。以來、歸りに、トウキビや芋を貰ひ食べながら樂しい歸り道の思ひ出が出來、未だ忘れられない。
 ただ惡い事と叱るよりも、ずつしりと心に重く響た教へをして頂いた。其の教へには今も感謝を忘れる事はない。
 高校卒業後、村●英治へ盆暮の挨拶状を出すものの一切の返事はなく、母親の禮さんから申し譯ないと云ふ書状を戴き、其以來盆暮の挨拶状は禮さんへ送つてゐた。
 村上禮さんは平成二十年三月二十三日九十歳で亡くなつたが、亡くなる六、七年前老人ホームへ入つてゐる事を聞いた爲め妻と逢ひに行き、子供の頃の御禮を四十年ぶり傳へる事が出來た。以來、時時逢ひに行つてゐた。
 此年の七月洞爺湖サミットが行はれた。一時期愚生が發行した機關紙建設の詞、取材の爲三月十五日洞爺湖を訪れた際。今思へば蟲の知らせとでも云ふのであらうか、同行してゐた妻が「また何時來る事が出來るか解らないから、禮さんに逢ひに行きたい」と云ふ。少し遲くなつてしまつたが、夕食の最中にホームに着いた。林檎の皮を器用に剥いて振舞つて戴き、とても九十歳には見えぬ程元氣な姿を見る事が出來た。
 其の時に撮つた寫眞を送つた所、英治の兄嫁より聯絡があり「寫眞は戴きましたが母は寫眞を撮つて頂いた八日後に亡くなり、殘念ながら視る事は出來ませむでした」電話の向うで微かに聞えるやうな感覺で聞いた。
 何か現實から離れたドラマでも見てゐるかのやうだつた。つい先日御逢ひした時は顏色も良く元氣にしてゐた。歸幽去れたと云ふ事が信ずる事が出來ず「嘘だらう」と云ふ感覺であつた。然しあの時行つて良かつた禮さんが靈感の強い妻を呼んでくれたんだらう。此が人の別れと云ふものかと痛感させられた。
 もう一人愚生の人間構成に大きな影響を與へた人物。
 小學校五年頃、家庭科の内田先生が、指示したものを勘違ひし、全くと云ふ程に理解せず叱られた。叱られた事に反撥し不貞腐れ家へ歸つたのだ。家へ歸ると母に酷く叱られ、デレキ(石炭ストーブの灰を掻出す鐵製の棒)で毆られ學校へ連れもどされた事が有つた。
 勘違ひをしてゐるので、當然、己が正しい事をしてゐると思つてゐるにも拘らず、何故に叱られなければ成らぬのか、更に不貞腐れ、大人への不信感を持つてしまつたのだ。
 大和小中學校、大●勘太郎校長先生の奧樣
ヨシさん、當時は同級生の母親でもあり大●のオバサンと呼んでゐた。
 其の大●ヨシさんが、廊下の隅で不貞腐れてゐる愚生に、母が何故叱つたのは、「自分が正しいと信ずるなら、不貞腐れる事無く正しいと主張し、逃げ歸るやうな事をするな」と云ふ事だと諭された。
 亦、内田先生が叱つたのは、指示した事を、確り愚生が聽き理解しなかつた事を、叱つたのであり決して只只感情にまかせ叱つたのではない。と諭してくれた。
 先生も母も解るやうに説明はしてくれなかつた。にも拘はらずオバサンは、全てを見てゐて一つ一つ愚生に解るやうに諭してくれた。感謝しても感謝しきれぬ教へを受けたのである。子供であつた愚生は御禮も云はず、數十年が經ち同級生からの訃報が年末に屆き愕然とした。あの時の御禮が云へてゐないと云ふのが、腦裏を掛けめ繰り居ても立つても居られず、三月に成つてしまつたが北海道は雪の爲め、墓參りは出來ない事は解つてゐ、然し、兔に角御禮を云はねばと同級生に頼み佛壇に參らせて貰ふ事にした。圖らずも御墓に手を合はせる事が出來たのは、翌年の彼岸だつた。
 村●禮さん、大●勘太郎校長先生の奧樣ヨシさん、己の人間構成に大きな教へを戴き歸す事の出來ない教へを受けた。

 人生樣樣な事が有つたが、足を向けねることの出來ない恩も受けた。
 昭和五十三年頃、九州通ひの仕事を始め長崎縣島原半島より松尾氏の紹介にて歸り荷を手配して戴く事に成つたが、松●氏の弟松●健二氏に更に高條件の仕事を手配して戴けた。
 當時、松●健二氏は島原半島千々石漁港の水産輸送業務を擔當する山健水産を經營。
 愚生の歸り荷だけの爲めに、松●氏の實父が北串農協幹部であつた事から、農協の關東向け荷物を直接貰ふ事が出來た。以來、樣樣な事に於て葯四十年、松●一族とは家族包みで懇意にして頂いてゐる。

 昭和五十五年から六十二年まで中●寿一氏の運轉手をしてゐたが、車を讓り受け獨立する際、銀行に融資を受けやうとしたものの審査が通らず受ける事が出來なかつた。
 當時仕事の先輩であつた渡●愼一氏が、驚く事に自分の家を擔保に入れ愚生の保證人となり、融資を受ける事を銀行に承諾させたのだ。
 保證人と成つて貰ふ事すら難しい時に、家を擔保にするなど有り得ぬものである。其の時、自分の家を擔保に入れた事は聞かされてをらず、後に銀行員に聞かされ非常に驚いたものである。此人にはどんな事が有つても足を向けて寢る事は出來ないと思ふ。
 獨立後數年が經ち、商賣も起動に乘つた頃、渡●さんへ御禮と思ひ三十萬圓を握り、夜の横須賀へと誘つた。一件目を愚生が會計しよふとした時、渡●さんが激怒し「秀、御前そこへ坐れ」と大勢の人前でフロァーに正坐させられいきなり毆られた。何がなんだか解らず幾らなんでもと腹が立つたが、逆つて良い相手では無い。次へ行くぞと云はれ附いて行くが正直云へば面白くない。
然し、渡●さんは「俺は御前に驕つて貰はなくても呑める。御前が人に驕る事が出來るやうに成つたのなら、何故後輩や呑みに行けない奴にしない」と云つてゐた。同行してゐた友人が「秀ちやん御前は渡●さんの恩に報いやうとしたのは解るが、渡●さんは御前から見返など求めてゐない。其なのに金で返さうとした事に怒つてゐるだぞ」と云はれ武士道「見返を求めず死ぬ覺悟」を身體で教へられた。「情は人の爲ならず」目の當たりに見せられ唯唯感動し身が震へた事は忘れない。
 數十年が經ち、未だ渡●さんと呑みに出た時は愚生に會計をさせて貰へてゐない。
 愚生も人と爲りが此のやうな人に成れば恩の一部でも返せるだらうかと思つてゐる。


 此の世に、命懸けで産み育ててくれた兩親への感謝は

當然乍ら、己を取卷く恩人知人への感謝は忘れる事無か

れ。


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by iamhide3897 | 2017-08-14 13:42 | ぼやき | Comments(0)

オバマ廣島訪問

オバマ亞米利加
 大統領廣島訪問


紀元二千六百七十六年五月二十九日
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 オバマ亞米利加大統領は現職大統領として初めて被爆地廣島を訪問した。
 平成二十八年五月二十七日伊勢志摩サミツト最終日から歸國するまでの間に廣島を訪れた。
 唯一原爆を投下された國、日本の被爆地は長崎、廣島とあるが、今囘廣島を訪問したのである。
 此迄に無い、異例の訪問は米國國内にも樣樣な問題と多くの反對が有つた。亦、大東亞戰爭(原爆投下問題)を拂拭する爲には、避ける事の出來ない事として訪問を薦める動きも有つたやうだ。然し、結果的に日米兩國共に贊否兩論あつた中、訪問後の世論は好意的に受け止められてゐる。
 今迄は、兩國共に互の正當性を主張する而已であつたが、近年は兩國共に若い世代で極く稀に其の正當性を疑問視する動きが視られるやうに爲つて來た。此のやうな時期に訪れると云ふ事は、國の先驅者として大きな豫測の附かない危險を伴ふと云ふ事である。
 米國ではアメリカ人の命を一人でも失ふ事を避ける爲、戰爭を早期に終らせる必要があつた。其の爲の原爆投下であり有效且つ正當で有つたと教へられてゐる。此の教へに疑問符を投げ附ける事となるのだ。
 亦、日本では原爆投下は人體實驗だと云ふ風潮が多くあり頑強に謝罪を求める聲も尠くない。然し、其れ以上に多いのは、投下した投下されたではなく核兵器の恐ろしさを知り核兵器を無くさうと云ふ聲である。
 現に、オバマ大統領の平和公園にて行はれた書翰聲明では謝罪は無く。核を無くす事に第一歩を踏出さうと云ふ言葉を發した。

 先日、盛道烈士會盛會長とオバマ大統領廣島訪問に附き話したばかりであつた。日米共に正當性を主張する訪問反對の聲は、共に自國の主張に過ぎず全く視野の狹い事である。戰後七十一年が過ぎ、世界平和を考へれば如何に核兵器を削減して行くかが問題なのだらう。
 其の爲に、危險を伴ふ重い腰を上げたオバマ大統領に先づ敬意をはらう可きであり、良も惡しきも受け容れ日本の風土傳統文化に照し合せ、改善して來た民族の教へに從つた被爆者のオバマ大統領へ發した「間違へたのは貴方では無く人類が間違へたのだ。正す爲に努力しませう」此の言葉を口にした被爆者の矍鑠とした姿が印象的であり、皇祖皇宗の教へに感謝す可きと云つてゐるやう拙生には見えた。

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 オバマ大統領廣島訪問は、當初の日程其の他は明確にされず如何なる事に爲るのか不安視された。然し結果は豫想外の好印象であつた。
 確かに忘れる事の出來ぬものでは有るが、過去に捉はれる事無く世界の平和と云ふ大きなものへ向ひ共に歩み寄る可きであり力を合せる可きだと感ずる。



 歴代百二十五代天皇の大御心であり常に其の御心を示され御祈りなされてゐる。我我臣民は其の御姿に見習ふ可きであらう。









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by iamhide3897 | 2016-05-29 22:19 | ぼやき | Comments(0)

出雲大社參拜

御霊祀り・初詣
出雲大社相模分祀
初詣參拜


紀元二千六百八十六年一月三日

 本年度初の御霊祀りが執り行はれた。
殘念乍ら間に合ふ事が出來ず、不義理を働く事となつてしまつた。
 年の始めから此のやうな事では今年一年不安になる。然し、遲れてしまつたが、本殿大國主命竝び祖靈社に祀られる相原修大人命、山口彌吉郎大人命へ感謝の誠を捧げ參拜する事は出來た。

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拙生は下戸なので手にするカップは甘酒である。
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    幽冥神語

幽世の大神憐給ひ恵給へ
幸魂 奇魂 守給ひ幸給ひ
幽世の大神憐給ひ恵給へ
幸魂 奇魂 守給ひ幸給ひ
幽世の大神憐給ひ恵給へ
幸魂 奇魂 守給ひ幸給ひ



かくりょのおおかみ、あわれみたまひ、めぐみたまへ
さきみたま、くしみたま、まもりたまひ、さきはひたまへ
かくりょのおおかみ、あわれみたまひ、めぐみたまへ
さきみたま、くしみたま、まもりたまひ、さきはひたまへ
かくりょのおおかみ、あわれみたまひ、めぐみたまへ
さきみたま、くしみたま、まもりたまひ、さきはひたまへ













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by iamhide3897 | 2016-01-04 01:43 | ぼやき | Comments(0)

初詣

明治神宮參拜
靖國神社參拜


紀元二千六百七十六年一月二日

 宮城參賀を終へ靖國神社參拜と爲るのが一般的ではあるが、數年前或る御仁が靖國神社參拜の前に創設者である 明治天皇を參らずに靖國神社參拜とは英靈も認める事は無いと云はれ、其以來明治神宮を參拜してゐる。

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明治神宮は例年に比べ少しばかり人出が少ないやうに思える
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 偶然靖國神社にて愛國黨中川兄と出會ふ
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by iamhide3897 | 2016-01-03 01:05 | ぼやき | Comments(0)

御挨拶

恭賀新禧

 皆様、恙なく新春を御迎えの事と
謹んで御慶び申上候。
 本年も在來はらぬ御高配賜りますやう
御願ひ申上候。

紀元二千六百七十六年   元旦

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by iamhide3897 | 2016-01-01 00:47 | ぼやき | Comments(0)

開戰記念日

大東亞戰爭開戰記念日

紀元二千六百七十五年十二月八日
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 昭和十六年十二月八日心ならずも日本は大東亞戰爭開戰に至つた。此の戰爭は、止むに止まれぬ戰ひで有つた事は「大東亞戰爭開戦の詔勅」を視れば歴然とするであらう。
 現在騷がれてゐる安保關聯法案は、大東亞戰爭敗戰と同じ轍を踏むやうな事のなひやうと考へられたものと判斷する。
 大東亞戰爭開戰に至つた事は決して誤りでは無かつた。御國の面目を護らむが爲、止むに止まれぬ事で有つたのは儼然たる事實である。
 然し乍ら敗戰に至つた事は「詔勅」に叛く者が爲め誤ちが招じた事も事實であり、現在日本を取卷く世界情勢は當時の状況に酷似して來てゐる。依つて絶對に其の轍を踏まぬやう政治は日本の舵取りをし國體を護り拔かねばならないと進言する。

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by iamhide3897 | 2015-12-09 00:24 | ぼやき | Comments(0)

狡猾極はまりない習近平

狡猾極はまりない習近平
支那の走狗馬英九の畫策


紀元二千六百七十五年十一月八日

今臺灣に於て「臺灣を救つた戰神」と云はれた元陸軍中将根元博の功績が無駄に失はれやうとしてゐる。
大東亞戰爭終戰後支那は、蒋介石率ゐる國民黨軍と毛澤東率ゐる人民解放軍の内亂にあり、内亂に乘じて火事場泥棒の如く國を掌握した毛澤東は蒋介石率ゐる國民黨軍を臺灣へ追ひやり、尚も撃滅せむと攻撃の手を強めてゐた。
蒋介石は終戰時、北支那方面の三十五萬将兵の復員と在留日本人四萬人の内地歸還を認め薦めてくれた恩ある武人としてゐた根元博はGHQの目を掻い潛り臺灣へ密航、劣勢にある蒋介石軍を根元は臺灣名「林保源」と變へ軍暦を生かし勝利へと導いた。其の結果現在の民主主義臺灣がある。
其の臺灣を今、馬英九は世界中が認める火事場泥棒支那へ賣らうとしてゐるのだ。

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by iamhide3897 | 2015-11-08 08:00 | ぼやき | Comments(0)

平塚總合公園

朝の日差しに誘はれて

平成二十七年十一月七日(土曜日)
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 朝の日差しに誘はれて、秋を味はふ爲めに平塚總合公園へ行つて見た。
 驚く事に本日は、湘南JAが主催する"「でてこいや祭り」が催されてゐた。農協の祭とあつて農業從事者が主體になつて行はれてゐるやうだ。
 樣樣な催し物には子供達を有頂天にさせるものもあり、公園内には多くの子供が訪れてゐた。中には中央ステージにて行はれてゐた各地區JA婦人部のダンスに合せ、身振手振で腰を振り踊つてゐる幼兒がステージ上の婦人部より注目を浴びてゐた。一歳七ケ月のゆきちゃんと云ふさうだか誰もがゆきちゃんを觀て頬を緩めてゐた。
 本日は、久し振りに何も考へる事無く頬を緩め和む事が出來た。
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by iamhide3897 | 2015-11-07 17:18 | ぼやき | Comments(0)

靖國神社とは

靖國神社

紀元二千六百七十五年八月十六日
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 昨日、七十周年の終戰の日に當り現在の平和を殘す爲、尊い命を散華され戰つて戴いた英靈の御靈へ感謝と鎭魂の誠を捧げる爲、英靈が祀られる靖國神社へ參拜。
 抑も此の靖國神社は、江戸時代の幕末、長州藩に結成された奇兵隊士の霊を弔ふ爲めに、高杉晋作が招魂社造營を發議した事に始る。其の後、戊辰戰爭の後に、官軍(薩摩、長州、土佐、肥前四藩)将校の招魂祭を江戸城で行ふと共に、京都東山で官軍の戰死者を祀つた。
 此を機に、幕末、明治御維新期の戰歿者を慰霊、顕彰する動きが全國的に活發になり、日本陸軍の創始者である大村益次郎が 明治天皇へ東京に招魂社を創建する事を獻策した。
明治天皇は、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戰爭の戰歿者三千五百八十八柱を合祀し、本殿竣工を三年後とした。その後一八七九年に、軍直轄だった東京招魂社は、『春秋左氏伝』第六巻僖公二十三年秋条の「吾以靖國也」を典拠として明治十二年  明治天皇が命名「靖國神社」と改称されたのである。 右記ものは誰もが知り得る所であらう。では靖國神社とは如何なる處であらうか?
 靖國神社に祀られる御祭神は「忠霊」・「忠魂」と當初は稱されてゐたが、明治三十七年から翌年にかけての日露戰爭を機に新たに「英霊」と稱されるやうになつた。
 然れば御祭神を「忠霊」・「忠魂」「英霊」と祀る場なれば粛然たる場で無ければ爲らぬであらう。
英靈は壯絶なる戰ひのなか尊き命を散華され、此の國を護り拔いた。爲れば歸幽された後には靜寂を望むであらう事は相違ない。
 現在を生きる我我日本國民は、常に英靈に感謝と鎭魂を捧げる可きであり、英靈の望む靜寂を如何なる事が有らうとも護る可きであらう。
 其の靜寂の場でなければならぬ靖國神社が、事ある毎に靜寂を破られ罵聲が飛び交ひ血で汚されてゐる。神聖なる場を護らむが爲とは云ふものの喧騒の中心にゐるのが、誠を捧げる可き民族派有志と云ふのは嘆かわしき事であらう。
 確かに戰後七十周年の今年、第二鳥居前で、韓國人が太極旗を掲げるパフオーマンスを行ひ騷然となつた。どのやうな意圖があり行つたかは知る由もなひが、決して好意的行動ではなひだらう。然し乍ら此の韓國人に民族派有志が俄然掴み掛かり排除しやうとするのは如何なものであらう。
 決して此の韓國人の好意は容認するものではないが、境内の中に入り經を大聲で讀む僧侶は許し太極旗を掲げる韓國人は許さないと云ふのは理解に苦しむ。神社が系風を守らんとするならば、僧侶が戰後七十年の終戰記念日に、多くの國民が参拝をしてゐる最中、經を大聲で讀む僧侶を靖國神社が放置してゐる事の方が信じられぬ。 本來、靖國神社の系風を汚す者は神社側の警備、若しくは公安當局、警視廳機動隊が排除す可きであり、我我は飽く迄英靈に對し感謝と鎭魂を捧ぐ可く、粛然たる場を貫くのが民族派の責務と信ずる。


第二參門風景
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by iamhide3897 | 2015-08-16 21:16 | ぼやき | Comments(0)

民族の叫び

大東亜戦争開戦
真実の詩


危急の日に    高村光太郎

「此日天氣晴朗なれども波高し」とあの小さな三笠艦が嘗て報じた。
波大いに高からんとするは何處ぞ。
いま神明の氣は我等の天と海とに滿ちる。
我は義と生命とに立ち、彼は利に立つ。
我は義を護ると云ひ、彼は利の侵略と云ふ。
出る杭を打たんとするは彼にして、東亜の大家族を創らむとするは我なり。
有色の者何するものぞと彼の内心は叫ぶ。
有色の者未だ悉く目さめず、憫むべし。
彼の願使に甘んじて共に我を窮地に追はんとす。
力を用いるは我の悲しみなり。
悲愴堪へがたくして、いま神明の氣は我等の天と海とに滿ちる。

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by iamhide3897 | 2015-07-11 11:17 | ぼやき | Comments(0)