虚け者のぼやき


by iamhide3897

プロフィールを見る
画像一覧

最新の記事

素交祭
at 2017-09-04 22:31
演説會
at 2017-09-04 21:56
參拜
at 2017-08-16 15:53
會議
at 2017-08-16 14:38
感謝
at 2017-08-14 13:42

以前の記事

2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月

カテゴリ

敬神崇祖尊皇
明鏡止水・着眼大局
皇國志士聯合
愛倭塾
告知
報告
ぼやき
旅 日記
大和舎

フォロー中のブログ

神光迎来
同血社主人の一艸獨語
もっこすのための熊本愛郷新聞

外部リンク

最新のコメント

拙生は御成敗式目に有..
by iamhide3897 at 15:40
時下ますますご清祥のこと..
by mishima19701125 at 02:38
和歌山での一時が貴兄の今..
by iamhide3897 at 14:24
先般は有難う御座いました..
by 瓶子廼舍主人 at 23:30
2 憂國者 殿 ひと..
by iamhide3897 at 12:42
憂国者殿 指示して..
by iamhide3897 at 00:34
私は右翼の人達を指示して..
by 憂国者 at 00:59
② 然し、此は單な..
by iamhide3897 at 18:15
①臣民修行者様 貴..
by iamhide3897 at 18:15
皆樣、本当に御疲れ樣です..
by 臣民修行者 at 02:30
③ 小生は尠くとも支那..
by iamhide3897 at 19:38
② 韓國や北朝鮮のやう..
by iamhide3897 at 19:38
① 何故「倭」なのか確..
by iamhide3897 at 19:37
どのやうな事が貴方の共感..
by iamhide3897 at 15:46
「和」ではなく「倭」の文..
by 何故 at 20:22
えっとこちらのブログすご..
by skuna@docomo.ne.jp at 14:59
何の情報も無く解りません..
by iamhide3897 at 22:14
寺田裕也はいつ出て来ます..
by はてな at 15:24
是非見て下さい。 淺學..
by iamhide3897 at 23:20
とても魅力的な記事でした..
by 投資の初心者 at 14:40

メモ帳

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

つぶやき
シニアライフ

画像一覧

<   2014年 09月 ( 8 )   > この月の画像一覧

演説會

第九十八囘
愛倭塾定例
演説會




紀元二千六百七十四年九月二十八日

e0209864_14561950.jpg

何時もの如く晴天に恵まれ、定例演説會は始まった。

e0209864_14571924.jpg

第一辯士として登壇した石塚辨士は何時もの如く教育問題を取上道行く人々に熱く語りかけてゐた。



e0209864_15005668.jpg

 小林辨士の訴えは神代の時代より受け継がれる悠久の歴史を元に國の生い立ち、更に國體とは如何なるものかを考えて戴きたいと訴えた。

e0209864_15013314.jpg

 鹿児島縣在住の松田辨士は遠路遙遙駆け付けての参加である。

神武天皇肇國以来の偉人賢人を上げ特に明治御維新に活躍した鹿児島縣出身の志士を國の貢献に對し讃えてゐた。此は取りも治さず、世の爲人の爲活きることが日本臣民の美徳と説いてゐた。


e0209864_15022361.jpg

 日乃丸萬歳社中野辨士は子供の自殺問題を通じて命の大切さや子供に目を向ける事が疎かになつてゐる事が問題であると云ふ。

子供は神よりの預かりものであり社会へ出す迄に恥ずかしくない人間に育む事が親としての責務であり、只只可愛がるだけでは逝けない。勉強が出来る出来ないなではなく人として恥ずかしくない人間に育てる事が親として大人としての責務であると説く。

e0209864_15032843.jpg

 平田辨士は日本の素晴らしき伝統文化、世界に類を見ない優れた道義道徳は日本人の誇りであり、古からの教へを受け継ぎ傳へて行く事で誇れる日本となると訴へる。

e0209864_15043343.jpg

 神奈川県厚木より駆け付けて戴いた花上辨士は近代日本、戦後の歴史を総括する意味で現代の様々な問題は全てと云はれる程にGHQの日本弱體化政策によるものが大きく影響している。神道廃止令を始めとする精神文化の解體が現代の様々な問題を引き起こしてゐると云つても過言ではないと訴へる。




e0209864_1830252.jpg

 山口辨士は本日登壇した辨士全てが、日本の素晴らしき伝統文化、精神文化の優れてゐる事を訴へてゐた。松田辨士が日本に貢献した先人を讃えてゐたが、當時は厳格に道義道徳を教えられた爲、誉め讃えるやうな事はなく當然の事とされていた。 亦、逆に道義道徳に反する事には厳しく断罪された。法律的には整備されていなかった事もあるが法的に裁かれる事は少なかつた。然し村八分等の制裁は非常に厳しく、現代とは比べ物にならぬものであつた。
 顧みれば世の中以前とは全く逆転してゐるのではないであらうかと問い掛ける。少しばかり好感の持てる行爲をするとやたらと譽め讚へられる。然し惡業は直にも忘れ去られる。  現代の猟奇的事件を見れば全てが古から傳へられる精神文化の希薄化、道義道徳の欠落が原因してゐると訴へる






[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-29 14:54 | 報告 | Comments(0)

皇國志士聯合


 皇國志士聯合は古來から日本に受繼がれる

大和民族精神に則り、歴史、伝統、文化を

正しく學び、依り己の心身を磨く事により

神代より受繼ぎ人皇の世に儼然と存在する

皇室を中心とし、

道義国家建設と言う大儀を果たさんとする

皇國の志士を志す若人の集合體として存在する。



加盟團體

 愛  倭  塾    (帝都)
 日乃丸萬歳社   (帝都)
 大日本思考塾   (蝦夷稚内)
[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-27 21:32 | 皇國志士聯合 | Comments(0)

命日に思ふ

人生幸福
感謝より發(はつ)る


 人間は先ず此の世に生を受けた時、産聲と云ふ雄叫びをあげ父母に最初の感謝する。其後、毎年誕生日が訪れるが戰後民主主義導入後、宗教(耶蘇教)上の風習によつて誕生日を祝つて貰ふ事が正當とされてゐる。然し、日本の慣わしは元服など人生の節目に祝ふ事はあつても毎年祝ふ事は極稀な事である。本來誕生日は生を與へて呉れた父に、命懸けで此の世に産んで呉れた母親に感謝する日である。
 成長する上で知識、見識、人格向上と教育を與へて戴いた事に感謝。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」と教育敕語にあるやうに己に拘はる人人、兩親、先祖に感謝す可き事である。
 亦、「神は人の敬いにより威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ」と御成敗式目にあるやうに此の世に生を與へた神に感謝する事で人は幸福と云ふものを授かるものである。
 是は、拙生個人の人生に學んだ事であるが、實父彌吉郎が亡くなつた時の事である。父が肺炎にて入院し囘復の傾向に向い次期退院と云ふ頃、病状が急變病院より聯絡があつたさうだ。母が向うと父は「何しに來た」と云い乍ら母の手を握り昔噺を始め小一時間が經つた頃。母が皆が來るから頑張つてと云ふと「此處まで頑張つた、未だ頑張れとは俺を殺す氣か」と死に際に冗談を云ふ程であつたさうだ。此の冗談を聞き母は皆が來る迄は大丈夫と思つたさうだ。然し、昔噺の後「皆が來ても泣くなと云へ、今迄ありがとうな」と云ひ終へると息を引き取つたさうだ。 後に醫師から其の時の話しを聞けば醫師は一言「侍ですね」と云ふ。「今迄に多くの人を看取つて來たが自分の云う可き事を全て云ひ終へて息を引き取つた人は初めてです」との事であつた。
 其の父は親類に聞けば若かりし頃、呑む、打つ、買う、女遊に鬱つをぬかすと惡業の限りを極めた人であつたさうだ。幼少の記憶に、母に手を引かれ家を出て夜の街を歩いた記憶がある。今で云ふプチ家出である。
 然し、現在母は家内に「うちの父さんは私に嫌な事は一切しなかつた」と云ふ。父の惡業を知る拙生には如何とも不思議な事としか云ひやうがない。死に際の「ありがとうな」が全てを洗い流したものであらう。
滅多になひが、母は生前の父と喧嘩をすると、家内に父の愚癡を零したものだ。其の後必ずものの序でに、拙生は父の惡い處だけを受け繼ぎ、父に酷似して居るから氣を附けなさいと餘計な事まで云ふのである。其がどうあろう今は母にとつて父は聖人君子の如くあるのだ。
 間際に云つた感謝の一言で全ての惡を洗い流し、幸のみが殘つたのだと學んだのである。
 常住坐臥、拙生の戲れ言である事は重重承知ではあるが、感謝する事を心掛けてゐる事で御世辭にも良い人と云つて貰へてゐる事は幸と云へるであらう。
 何事にも感謝する事で幸福が自然に附いて囘るものであらう。
 父の死ざまは此の上ない幸であつたであらう。亦、母にとつて父の死に際の一言は最大の感謝であり譽め言葉であつただらう。

 因みに本日九月二十七日は亡き父の命日だつた。











[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-27 16:57 | 大和舎 | Comments(0)

久々の北の大地

大日本思考塾




紀元二千六百七十四年九月二十一日


久々に大日本思考塾村上勝富會長に會ふ。
村上會長は生業関係上関東へ来る事の少なく成つた爲なかなか會ふ事が出来なく成つてゐる。
本日、大日本石田塾より以前から預かりと成つてゐた井上加寿幸氏を石田塾現會長鎌田豊會長の許可を得、村上勝富會長の承認を頂き大日本思考塾入塾する事とした。
今後皇國志士聯合大日本思考塾の一員とし村上會長と共に精進する決意を新たにしたとの事である。
亦、村上勝富會長は福田邦弘議長と山口秀明副議長の推薦にて時局對策協議會理事が内定する。






















[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-21 16:19 | 報告 | Comments(3)

先人に學べ

朝日新聞社長の
誤報謝罪會見を觀て


紀元二千六百七十四年九月十八日

e0209864_3591074.jpg

東電原發事故の吉田調書誤報、從軍慰安婦強制連行誤報、池上彰コラム掲載問題に附き朝日新聞木村(きむら)伊量(ただかず)社長が九月十一日謝罪會見を開いた。
この會見を觀て不思議な現象に違和感を覺える。朝日叩(たた)きに躍起(やつき)に爲つてゐる産經新聞、讀賣新聞も同じ穴の貉(むじな)であらう。風向きが變つたから便乘しただけに過ぎないのである。此は産經、讀賣新聞だけに留(とど)まらず全てのメディアに云へる事なのだ。更に吐き氣を覺える如何(いかが)はしき輩(やから)は政治屋、評論家、コメンテーター、ジャーナリスト等と云はれる無責任窮(きわ)まりない生き物である。此までに誤と知りながら毅然(きぜん)と誤を指摘する者など前記に擧(あ)げた者には只の一人も居らず。其どころか擁護(ようご)する者ばかりであつたのだ。風向き次第で如何様にも變る無責任窮まりない輩なのである。己の言葉に文字に全く責任を持つ事のない輩なのである。
而(しかして)、其の如何はしき輩が朝日新聞に對し責任追及をしてゐる。然し、己が容認して來た責任は如何にするのか。亦、朝日新聞に對し如何なる責任を取らせるのか。其が可能な事だとでも思つてゐるのか。まるで芸のない芸(げい)無人(のうじん)が楽屋ネタで笑いを取るが如(ごと)く低俗番組を觀てゐるが如きであつた。
今囘、明確にされた事は既に我我民族派而已(のみ)ならず、良識ある國民ならば疾(と)うに知り得てゐたものに過ぎない。責任追及と聲(こえ)を荒らげてゐる者の殆どが、其の事實を知りながら目を背(そむ)け、己の利害に合せてゐたのである。
池上彰のコラム掲載問題にしても同じである。今迄に池上彰が從軍慰安婦強制連行に附いて知り得た情報を發信した事が或(あ)るだらうか。此も又朝日新聞の誤報と云ふ虚僞報道が表面化が大きく傾いて來た事で、風向きが變り便乘しただけの事である。尤も其の風向きにすら乘れぬ程、勝手な持論を史實の如く公言してゐた田原総一朗などよりは自浄作用の働く池上彰の方が幾分ましである。
閑話休題、この問題は責任責任と非建設的な事を擧げても何の解決にも爲らず、非を認めたならば其の誤ち全てを解明訂正二度と發(おこ)らぬやう建設的解決へ繋(つな)ぐ可(べ)きである。
此の記者會見の場にて建設的發言が全くない事に、日本人の民族性が全く現はれてゐない事に違和感を覺えるものである。
 日本の御國(おくに)柄(がら)、民族性は神代の時代から變らず、何事も受容れ風土傳統文化に照し合せ改善して來た事にある。歴史を辿れば佛教、耶蘇教、儒教は全て受容れられ、日本流に改善されたものが廣まつてゐる。
例へるならば、儒教に關して餘りにも缺陷(けつかん)が多く、山崎(やまさき)闇(あん)斎(さい)先生、門人の浅見(あさみ)絅斎(けいさい)先生等により日本の傳統文化に照し合せ確率され崎門學(きもんがく)とされたものである。
確かに孔子を始祖とし思考・信仰の体系を發展させた。然し、朝鮮半島を經て日本に傳はつてから改善されたものが、在ま現在支那が確立したが如く云はれる儒教なのである。
此のやうに何事に於ても嚴肅に誤ちは誤ちとし訂正し、日本の神代からの教へ傳統文化に照し合せ改善繁榮して來た史實が儼然(げんぜん)としてある。つまり何事に於ても建設的歴史を育んで來たのだ。其の素晴しき古(いにしえ)の教へに背く事が平然と公の場に於て行はれてゐる事に大きな違和感を覺えるのである。
悠久の歴史を育んで來た先人が今の世を觀た時何と云ふだらう屹度(きつと)「御前達は先人の育んだものを蔑(ないがしろ)にし安易な方へと舵をきるのか、其でも日本人か」と云ふであらう。
此を正すには某團體の重鎭が云ふ「國の起源を思ふ若者に未來を託す」何を云はむとするか、悠久の歴史を學び、日本の傳統文化を孜々營々(ししえいえい)と築き上げて來た先人達に感謝の心を持てる若者を育て此からの未來を託す事が、多くの時間と大きな勞力を費いやする事に爲るであらうが確實に皇國の中興(ちゆうこう)復古(ふつこ)へ繋がるであらう。











[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-18 03:42 | 大和舎 | Comments(0)

思い出の大和

大和舍(やまとや)

紀元二千六百七十四年九月十七日


 北海道勇拂郡穗別町稻里道有林番外地、現在穗別町はむかわ町と合併し穗別町は存在しない。
 其の稻里道有林番外地に昭和三十二年から四十三年迄十年と十餘月の間存在した大和(だいわ)鑛業株式會社稻里坑業所、所謂大和炭坑である。
 大和(だいわ)炭坑開坑當初から學校設立に盡力した初代校長大澤勘太郎先生に學び人として生きる基本を身にしたところである。
 通稱大和(だいわ)と云はれ人里離れた山奧に開坑した炭坑集落である。當然そこに働く人人は眞面目な勞働者が多くゐたが、世にをられぬ溢れ者、流れ者と云はれる者も多くゐた。確かに治安は頗る良いとは云へぬが互が助け合ひ日々の暮しを育んでゐたのだ。
 町場の人人からは流れ者の吹き溜りで危險な處、近づく可からず、又そこの者とは附合ふ可からずと云はれたが、決して小生はそうは思はなかつた。確かに休日ともなれば酒に醉ひ喧嘩沙汰、其も日本刀を振囘し、切つた張つたも有り、怪我人をトラツクの荷臺に乘せ隣町登川の診療所へ運んだ事も數多有つたが、當時はそれが普通だと思つてゐたのである。火事と喧嘩は江戸の花と云はれるやうに大和も活氣ある處だと思つてゐた程である。
 今思へば其も特殊な環境であつた事は歪めない、然し、幼少期から其のやうな環境に有れば其も又至極當然の事であらう。
 此のやうな中、大和小中學校全校生徒百六十有餘名、教員は校長、教頭を除いて十五名程。小生のクラスは十六名、皆兄弟のやうなものであつた。亦、どの家も鍵を掛ける必要もなく常に開け放されてゐた。然し乍ら竊盜などは一度も無かつたと記憶してゐる。
 そのやうに僻地ではあつたが長閑で心豐かな人人が活きる集落にある學舍から屋號を取つた。

e0209864_14402786.jpg

 今は亡き大澤勘太郎校長の記念誌への思ひ。
「長い間大和に活きた人人は、ヤマの燈は消えても、心の燈は何時までも燃え續ける事を念願してゐる。時に附け、折に觸れ、此の記念誌に在りし日の大和を偲んで頂きたい」 此の記念誌が出された事を小生は知らず二十數年の時が経ち、知り得た時には涙したものである。


 今は、國道二百七十四號線が整備され集落の跡形もなく約六百有餘名がそこに暮らしてゐたなど露程も思へぬ雜木林と爲つてゐる。唯一そこが大和だった事を示すものが國道に掛かる小さな橋の名稱が大和橋である。四十六年が過ぎ、何故か國道沿ひに廣く駐車帶が設けられてゐる。未だに時折その場に立ち涙する人を見ると土地の人は云ふ。














[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-17 14:41 | 大和舎 | Comments(0)

御霊祭り

出雲大社相模分祀
御霊祭り


紀元二千六百七十四年九月七日


長月御靈祭りに參拜。
今月六日は相原修大人命の命日である。一般的に遲れての慰靈は良くないと云はれてゐるが、其は佛教の式たりであり神道に於いては慰靈をするに遲いも早いも全く關係ない渡の事である。然し、生業上の都合により一日遲れてしまつた事は些か氣が引ける。而、小林同志と共に本日七日御靈祭りにて慰靈をして頂いた。

e0209864_042172.jpg












[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-08 00:06 | ぼやき | Comments(0)

蛸釣り

東京灣
自然と歴史を巡る


紀元二千六百七十四年八月三十一日

e0209864_18554636.jpg

東京灣明治期の首都防衞史跡海堡を巡り先人の智慧に學ぶ。
其の後、時局對策協議會會員他關係者の親睦を深める可く蛸釣りに勤しむ。
e0209864_18573393.jpg


e0209864_18575252.jpg


e0209864_18591425.jpg


e0209864_18594795.jpg


e0209864_18595989.jpg


e0209864_1902468.jpg


e0209864_191125.jpg


e0209864_1912881.jpg


e0209864_1913226.jpg


e0209864_192469.jpg


e0209864_1932835.jpg

[PR]
by iamhide3897 | 2014-09-01 19:04 | 旅 日記 | Comments(0)