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紀州某山奥體驗

紀州某山奥體驗
非常時體驗ツアー


紀元二千六百七十四年十一月廿一日~十一月廿四日
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 今囘の紀州某山奥體驗は小生にとつて三月以來久し振りになる。
 亦、小生が魚屋稼業を生業にしてゐた時分の知合ひ、那智勝浦で魚の加工販賣をしてゐた龜本和昭氏に二十年振りに會ふ事が出來た。と云ふのも某山奥には電氣、ガス、水道と云つたライフラインはなひ、當然生鮮食品は取置く事は出來ず干物を使用する事に爲る。そこで昔の知人へ干物の入手を依頼したのである。
 小生は北海道出身、秋刀魚等の魚に關しては鮮度の良いものを食し育つた事もあり、二十年程前に龜本氏に秋刀魚の丸干しを薦められたが、脂の落ち切つた秋刀魚など食べられないと云つた事がある。
 秋刀魚は囘遊魚で根室沖から襟裳岬を下ると脂ののりが一ランク落ち、金華山沖で又一ランク落ち、更に銚子沖で一ランク落ちる。北海道育ちの人間からすれば和歌山沖迄下つた秋刀魚は到底脂はなく食べられたものではないと思ふのである。
 然し乍ら、乾物は脂があつては旨くないなひやうで餘り脂のない和歌山沖迄下つた秋刀魚が最適のやうだ。騙されたと思つて食べてみろと云はれ食してみれば美味。以來其の味を忘れられなく爲つてゐた。
 今囘、旅の食料として人數分の倍、秋刀魚と鰺を作つて貰ひ、某山奥へ持込んだが朝食と夕食で六十枚の乾物が全て食べ盡された。驚きである。
 因に河原氏は其の旨さに龜本氏へ即時注文をした程である。

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 久し振りに體驗基地へ行けば、鹿、猪、猿等の動物被害に驚く。畑の作物は全て芽を食べられ枯れてゐた。夫々に櫻の苗を植たが其も皆芽を食べ盡され悲慘な姿と爲つてゐた。 鳥獸柵と網はしてゐたが、柵の下を掘つて侵入、櫻は身體で柵を押し芽を食べると云つた方法で全て食べられてゐたのだ。


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盛、現場監督指導の下工事は着々と進む。
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 山での晝食はカレーライス而もジャワカレーとバーモントカレーにデミグラスソースそしてジャガイモと人參玉ネギは北海道富良野産、肉は國産とまでは行かずオーストラリア産切り落し豚肉二キロで作つた。更に旨さを増すのは空腹と新鮮な山の空氣と云つた最高の調味料なのだ。
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宿の女將が偶には歌でも歌つて樂しく過す時間もいいとカラオケに誘つて戴いた。
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 河原、志賀、大岩三氏は健康の爲め登山道を作つてゐた。敢て道を造らずとも此の山に來る事で健康は保たれると思ふのだが。
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 二日目の晝食は玉ネギを飴色になるまでオリーブオイルで炒め牛豚相挽き肉を加へ確り炒めたところへマーボー豆腐の調味料一煮炊きしたところへ豆腐六貼を骰子切りにし加へて味が染み込めば完成。
 全員丼二杯以上を食べてゐた。
 料理の腕は如何程か解らぬが山の空氣と自然が多少不味くても旨く思へるものである。
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 一仕事終へた夕食後は、思想談義に時間も忘れ。
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 額に汗して働いた後の笑顏は皆素晴しい。
 一時は再起不能とまで云はれた程の怪我をした盛會長の血色も良く、明い表情は周を明くする良い傾向であつた。
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by iamhide3897 | 2014-11-30 21:44 | 旅 日記 | Comments(2)

定例演説會

第佰囘
 愛倭塾定例
  演説會


紀元二千六百七十四年十一月二十三日
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☆協力團體☆
☆皇國同志會
☆励志救国協議會

 先づ初めに、紀元二千六百六十五年九月より始つて記念す可き第佰囘演説會を缺席し、其の重責を平田理事長はじめ幣塾同志へ託してしまつた事である。深く反省、應援參加者全員竝び幣塾同志に御詫申上げる。

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☆登壇辯士☆(順不同)

☆愛倭塾理事 石塚 孝男 辯士
☆励志救國協議會 奥貫 結華 辯士
☆励志救國協議會 三浦 裕之 辯士
☆日乃丸萬歳社代表 中野 正利 辯士
☆皇國同志會會長 花上 功 辯士
☆愛倭塾理事長   平田佐喜雄 辯士

 演説會は、何時もどほり石塚辯士の國民儀禮に始り、其の儘石塚辯士の主張に移る。
 石塚辯士の教育に關する主張に續き、奧貫辯士も同じく教育問題を語る。
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 三浦辯士、中野辯士は道義道徳に關する主張をする。
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 花上辯士は無駄な選擧と云はれる總選擧に關する主張をした。
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最後に平田辯士が總括と道義に關する主張をし演説會を終了したと報告された。
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 皆、道義道徳に關する事は日本の歴史に育まれた優れた教へを基にしたものであり、如何に普通と云はれるものが疎かにされ、本來正しいものを正しいと認識する事が出來なく爲つてゐる事にあり、教育に關するものも本來正しいものすら隣國に惡意を以て内政干渉されゐる事と爲つてゐる。
 支那、韓國、北朝鮮以外の亞細亞諸國は全てと云ふ程に日本の貢獻に感謝しこそ謝罪を求める國はなひ。大東亞戰爭は確かに日本は敗戰したが亞細亞諸國は終戰後、殆どの國が獨立を果したのだ。
 其の獨立の切つ掛けは、白人絶對と云はれた植民地社會に一矢報いた亞細亞の小國日本が亞細亞の植民地諸國に勇氣と希望を與へ獨立へと歩ませた事にある。
 英吉利の植民地であつた印度は、大東亞戰爭當時シンガポール陷落時英吉利に變はり日本に家畜扱ひされると嘆いたが、日本は友達と云ひ、同じ食卓にて共に食事をするなど平等な扱ひ、更に技術提供などインフラ等等に貢獻し國益を搾取すること無かつた。亦、英吉利だけではなく自國に敵對する國に對する戰ひ方や武器を提供し自立を促した。是は、印度だけではなく日本が進行した國、全てに行つた事は當時の植民地諸國官僚、要人が證言してゐる。
 然し乍ら、證言してゐる全ての人は、勇氣と希望を與へた日本人が何故に未だ卑屈に爲り謝罪を繰り返すのか。亦、大東亞戰爭終戰當時白人社會へ一矢報いた日本は亞細亞の誇と讚へられ憧の對象だつた。然し、亞細亞を獨立に導いた誇を持たない現在の日本人が憧の對象には爲らない。
 世界の戰爭史を見ても戰ひに勝利し其の國に貢獻した國はなひ。略奪や搾取を繰り返す國はあつても貢獻した國は日本だけである。大東亞戰爭終戰後七十年若經つた現在、支那、韓國、北朝鮮以外連合國を初め亞細亞の國々では極祕とされた史實が白日の下に爲つた今、インターネット等で容易に檢證出來るのだ。其の史實を未だ日本の教育現場は封殺し、日本の若者に事實を傳へる事を怠つてゐる。と夫夫の辯士は熱く訴へたのである。


皇國同志會
励志救國協議會
皆樣の御協力心より感謝申上げます。
辯士竝び參加者皆さん御苦勞樣でした。



















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by iamhide3897 | 2014-11-30 18:51 | 報告 | Comments(0)

◎ 厚木驛南口演説會

皇國同志會
  本厚木驛南口
    定例演説會



紀元二千六百七十四年十一月十六日

☆登壇辯士☆
 皇國同志會會長   花上 功 辯士
 日乃丸萬歳社代表 中野 正利 辯士
 愛倭塾理事長   平田佐喜雄辯士
 皇國同志會本部長 川原 弘幸 辯士

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中野辯士の寫眞は本人撮影の爲撮る事が出來ず掲載不能である。


定刻十四時演説會は始つた。
本日登壇辯士は一樣に現在起きてゐる政治不安への問題提議である。
 與黨は黨利黨略があからさまに表面化し、其に對し野黨は只只侮蔑するばかりで何等對應策を持つ事のない體たらくあきれ果てるばかりである。
 此のやうな事では國體明徴などは發信出來やうもない。
 總理や各閣僚其に對する野黨黨首の發言行動は餘りにも低レベルなものであり、何故に命の大切さ、人に對する思ひやりと云つた基本に立戻る事が出來ぬのか。是で爲政者と自負出來るのか全く疑はしきものである。
 國體明徴を嚴格に發信する事のない安倍首相に對し支那、韓國に附入る隙を與へ國際的にも不條理な尖閣問題、伊豆諸島、小笠原諸島の密漁と云つた行動を取らせてゐる。
 大東亞戰爭の總括について支那、韓國、北朝鮮が未だに誤つた歴史認識の下に謝罪賠償を求めてゐるが、他の亞細亞諸國は日本に對し感謝しこそ謝罪を求める國などない。
 大東亞戰爭は確かに日本は白人聯合諸國に敗戰した。然し戰ひには負たが、當初の目的、亞細亞諸國の植民地解放、獨立は達成された。つまり亞細亞諸國一致の考へは白人社會への一矢報いた日本は勝利したと同然と考へられてゐる。
 にも拘はらず當の日本人が敗戰後GHQの弱體化政策による日教組教育で誤つた認識の儘、現在に致つても尚、卑下し續ける日本人を如何に思ふか。亞細亞諸國の國民は我々に誇りを持てと教えたやうにもう一度大和民族として誇りを取り戻せと願つてゐるのだ。
 戰前の亞細亞諸國は日本人を誇る可き民族と尊敬の念を持ち憧れさへ持つてゐた。然し、現在はどうであらう自國を命懸けで守らうなどと思つてゐる日本人がゐるだろうか、否、守る價値があるのだらうかと思はれてゐる。當時の亞細亞諸國國民は家畜同然の扱に甘んじてゐた。今の日本人は自分達と同じに成り下がつてゐる。あの誇り高き大和民族は何處へ行つたかと嘆いてゐる。
 日本は世界に誇る神國として悠久の歴史を持ち、歴史傳統文化は何處の國にも負ける事のない素晴しいものがある事を再認識する事で亞細亞の否、世界の中心的存在に爲る事は疑いの余地は無い事であると、皆一樣に訴へた。

http://www.youtube.com/watch?v=Yi6t6r7FbjM


皇國志士聯合參加團體
 愛 倭 塾 平田佐喜雄理事長
 日乃丸萬歳社 中野正利代表





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by iamhide3897 | 2014-11-16 16:52 | 報告 | Comments(0)

此の命・義に捧ぐ

戰神と呼ばれ
臺灣を救つた男


   北支那方面軍司令官、元陸軍中将根元博
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 先日、誇ある武士道と云ふ事で日乗掲載をした事もあり、偶偶散歩の途中書店にて「惻隱の心」と云ふ文字に反應してしまつた。
 惻隱の情とは前囘説明したので此處で説明は無用と考へる。目に附いたのは儒教の本であつた。
 元來小生は日本に於ての儒教とは、支那東周春秋時代、魯の孔子によって體系化された學問であるが、朝鮮半島を經て日本傳來となり「儒教を學ばざるして武士と云はざる」と迄云はれたやうに浸透したものである。然し、其の儒教は日本の傳統文化に照し合せ、日本の儒學者であつた山崎闇齋先生や門人淺見絅齋先生等によつて確立された崎門學であると小生は信ずる。
 而、「惻隱の情」とは神武天皇敕語「八紘爲宇」から日本古來より育まれた教へであると信ずる。
 閑話休題、書店にて「惻隱の心」と書かれた書物の側に『此の命・義に捧ぐ』と或る書物に惹かれ立ち讀み、買はうとしたが残念乍ら散歩の途中財布を持つてゐない。自宅へ返り調べてみれば、何と武士道に繋がる事であつた。
 大東亞戰爭終戰當時、北支那方面軍司令官、最高責任者として戰後處理を務めた、根元博元陸軍中將の事が書かれたものである。北京に於て無條件降伏調印式が行はれた直後、ソ聯は武裝解除した軍人而已ならず占領した満州・北鮮・樺太・千島にゐた民間人、約百七萬人がシベリアやソ聯各地に送られ共生勞働させられた。つまり抑留である。
 根元中將は邦人を守りながら戰勝國となつた中華民國蒋介石總統に交渉し、在留日本人四萬人の内地歸還と北支那方面の三十五萬将兵の復員を終らせ、最後の船で歸國した。此の事で根元博は軍民合せ三十九萬人の命を救つてくれた蒋介石に生涯恩誼に感ずるとしてゐた。
 根元博は昭和二十四年復員後、東京町田市鶴川の自宅に過した。
 支那に於て昭和二年から始つてゐた國共内戰が一時大東亞戰爭により中斷してゐたが再發。
 恩誼ある蒋介石が窮地に立たされてゐると聞き、矢も楯もおられず明石元長の畫策にて宮崎港を出港つまり密出國である。最短ルートを取り臺灣北部基隆(キールン)港へ十四日を掛け上陸した。
 根元は家族に密航幇助の罪が及ぶ事を恐れ、一言も話さず家を出る際には愛用の釣竿一本を携へ釣に行くと云つて其の儘吉本是二と共に福岡へ向つたのである。
 明石元長は臺灣が日本統治下時代、總督を努めた明石元二郎の息子で根元、吉本の臺灣密航を手引した人物である。宮崎港出港を見送り過勞の爲、東京自宅へ戻り四日後四十二歳でこの世を去つた。明石元長はGHQ占領下にあつて密航計畫の苦難は幾何のものであつたか想像を絶するものであつたであらう。
 根元博、吉本是二の兩名は基隆港上陸後、密航者として身柄を拘束され投獄された。而、投獄が嘗て交流のあつた國府軍上層部へ傳はるや待遇は一變、臺北へ移動し北投温泉での靜養を經て、基隆港上陸から約一ケ月後の昭和二十四年八月蒋介石と再會する。
 時おりしも米國が國民黨政府への軍事支援打ち切り、蒋介石は根本の申出を受け容れた。
 根元は臺灣名「林保源」吉本は「林良材」と名を變へ湯恩伯の第五軍管區司令官顧問、中将に任命された。亦、湯恩伯は根本を「顧問閣下」と呼び禮遇した。
 根元は大軍勢を相手に厦門(アモイ)での鬪ひは、條件不利として放棄し、金門島を據點とする事を提案、直接指導に当たつた。
 程なく國府軍は厦門(アモイ)を失陥。金門島での決戰が迫る中、根本は塹壕戦を指導、十月二十四日、金門島における古寧頭戦役を指揮、上陸してきた中國人民解放軍を撃破、同島を死守したのである。
 此の戰の際、人民解放軍を敢て上陸させ乘つて來た船を攻撃燒はらい後續を絶つ作戰に出た。更に激戰の末人民軍を島北西部にあるコノエイ村に追ひ詰めた。國府軍は集中砲火を浴びせ撃滅する作戰をとるとしたが、根元は村人にも死傷者が出る。村人の命は守る可きだとして猛反對した。
 根元は敢て退路を一箇所だけ開けて退路に集中する人民軍全てを捕虜にし流血を最小限に押さえたのである。
 十月三十日、湯恩伯は「林保源」を含む部下達と共に、台北に凱旋。その後、金門島を巡って三年に渡り戰神と讚へられ激戰を指揮、金門砲戦が展開されたが、後に根本らの歸國後も、人民軍は根元の計畫した作戰を破る事叶はず、現在に至る臺灣の存在が確定した。
 根元、吉本等歸國に先立ち、蒋介石は根元等の功績を讚へ、感謝の品として、英國王室と日本の皇室に贈つた物と同じ花瓶を根本に贈呈してゐる。本來花瓶は一對だが釣り竿を持つ老子が描かれた片方の花瓶を渡し、もう片方は現在も尚、中正記念堂に展示されてゐる。
 昭和二十七年六月二十五日、民航空運公司機により日本へ歸國したが、三年前の密出國については不起訴處分と爲つた。晩年は鶴川の自宅で穩やかに過ごしてゐたが、昭和四十五年五月五日、孫の初節句の後に體調を崩して入院。同月二十一日に一度退院するも、二十四日に急死した。享年七十四歳だつた。

 平成二十一年に行はれた古寧頭戰役戰没者慰霊祭に根本の出國に尽力した明石元長の子息・明石元紹や、根本の通譯として長年行動を共にし、古寧頭の戰ひにも同行した吉村是二の息子・吉村勝行、その他日本人軍事顧問団の家族が臺灣政府に招待され、第十二代総統・馬英九と會見した。
 亦、明石元紹と吉村勝行の歸國の際、中華民國國防部常務次長の黄奕炳中将は報道陣の前で「國防部を代表して」當時、古寧頭戦役に於ける日本人關係者の協力に感謝してをり、是は『雪中炭を送る(困った時に手を差し延べる)』の行爲と云へる。とした感謝の言葉が述べられた。
 此の事により、台灣政府により正式に日本人の關與が初めて公表された事になつた。
「臺灣を救つた戰神として今尚讚へられてゐる」














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by iamhide3897 | 2014-11-09 14:16 | 大和舎 | Comments(0)

武士道

誇り高き武士道

紀元二千六百七十四年十一月三日


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                        最終階級
                        大日本帝國海軍 工藤俊作中佐

 本日、偶偶某民放にて危險を省みず四百二十二名の敵海兵を助けた日本海軍將校を讃へる番組が放映された。
明治天皇の發された教育敕語の延長線上にある、海軍兵學校の教へ「惻隱の情」を當時海軍兵學校長であつた後の首相鈴木貫太郎は強く教へた。
 其の教へを己の立場を省みず實踐したのが大東亞戰爭當時、驅逐艦「雷」の工藤俊作艦長だつた。
 海軍少佐工藤艦長は昭和十七年、驅逐艦「雷」にてスラバヤ沖海戰の掃討戰に於いて撃沈された英海軍重巡「エクセター」英駆逐艦「エンカウンター」等の乘組員四百二十二名を敵潛水艦の魚雷攻撃の危險を侵し救助した。翌日、パンジェルマシンに停泊中のオランダ病院船「オプテンノート」に捕虜を引き渡したのだ。
 當時は敵兵を救助するなどと云ふ行爲に對し「非國民」と云ふ拭ひ切れない汚名を受ける事になる。然し、工藤艦長は敢て鈴木貫太郎校長の教へ「惻隱の情」を實踐した。
「惻隱の情」とは例へ敵兵であらうが鬪ひが終へた後は、御互の健鬪を讚へ勝者が敗者に對し敬意をはらい思ひやる心。弱者に對する思ひやりの心。武士道の眞髓に他ならない。更に工藤艦長は、救助されたと云へ捕虜に變りはなく怯える敵海兵將校を全て集め「貴方達は御國の爲、勇敢に鬪つた誇ある勇士である。貴方方は當艦の名譽あるゲストである」と決して捕虜と云はず勇者に敬意を示した。此も亦、武士道の一節にある「勇者は勇者を認む」を實踐したのである。
 此の事實は終戰まで公表去れる事はなかつた。終戰後東京灣上に於て米英艦隊の中、米戰艦ミズリー號の甲板にて降伏文書調印式の際、參加してゐた英國海軍の戰艦艦長室に「エクセター」「エンカウンター」等の乘組員救助に感謝と武士道に對する敬意を示す「惻隱の情」が掲げられてゐた。亦、當時救助された元イギリス海軍士官、サム・フォール氏は英國外交官を歴任。著書である自傳マイ・ラッキー・ライフの初めに此の事實「誇り高き武士道」を記載してゐる。
 此は某民放の番組を觀て知つたのではなく、一昨年四月、某民族派團體同血社、河原博史會長の唆しにあひ・・・・・・失言御誘に北海道旭日會主宰講演會に參加した際、講師惠隆之介氏の公演中聞いてゐた事である。
 講師惠隆之介氏は沖繩縣古座市、現在の沖繩市出身、防衞大學、海上自衞隊幹部候補生學校、護衞艦勤務の後、二等海尉で退官、拓殖大學客員教授、沖繩國際大學非常勤講師を努める人物で護衞艦勤務當時、各國海軍との交流もあり未だ英國海軍一部艦船には艦長室に「惻隱の情」が掲げられてゐるとの事を云つてゐた。
然し、此の番組を觀て漸く公に公表された「誇り高き武士道」に昂奮を覺える。








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by iamhide3897 | 2014-11-04 00:34 | 大和舎 | Comments(0)

呼称、明治節

明治節

紀元二千六百七十四年十一月三日


勅使の御清め所
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 本日十月三日は文化の日として休日と爲つてゐるが、本來 明治天皇御生誕の日である。
 當然の事であるが奉祝に明治神宮參拜に訪れる。參道を進む途中、皇道民族聯盟近藤勝博代表と合流する。
 今迄に何度も訪れた明治神宮であるが、淺學故に奉祝祭典に敕使が訪れる事を知らずにゐた。參道を歩み本殿へと進む中、嚴かに參道を進む見慣れぬ一團に遭遇。
 近藤代表に聞けば、あれは祭典に向ふ敕使即ち、  天皇陛下の名代敕使であるとの事であつた。本來なれば下座低頭し迎へなければ爲らぬ方方である。知らぬと云ふ事は恐ろしいもので「あれは何」等と不尊窮まりない。我乍ら大いに反省する。
 聞けば近藤代表は毎年敕使を御迎へし參拜を濟ませた後、敕使が祭典を終へ御歸りになるのを、御送りして明治節參拜を終へるとの事。全く頭の下る思ひをした。
 數年前の出來事であるが、敕使の進行を妨げ御控所にて時間調整を餘儀なくさせ、擧句には敕使御歸りの際、本殿前にて大聲で國歌齊唱、教育敕語捧讀を行ひ係員に靜肅を促されるも反撥食ひ下がるなど不敬としか言ひ樣のなひ某團體の行動があつたとの事を聞いた。彼等は敕使と云ふ事を知つてゐたのだらうか。而、數十年前の自分が敕使と云ふ事を知らずその場にゐたならば。同じ事をしたのではと考へた時、冷汗が流れるのを覺えた。・・・・・・・・・・・・
 


勅使御歸りを御見送り。
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 本日は本當に良い勉強に爲つた日である。亦、日本の教へが如何に素晴しき教へであつたかが再認識させられた日でもあつた。



  因に參道に奉納された樣樣の菊作品
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參加

山口秀明會長
平田佐喜雄理事長






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by iamhide3897 | 2014-11-03 18:36 | 報告 | Comments(0)

御魂祀り

出雲大社
 相模分祀
   参拝


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紀元二千六百七十四年十月二日

 本日は山口二矢烈士の命日、帝都梅窓院にて時局對策協議會有志により法要が執り行はれた。
 亦、相原修大人命、河野喜春大人命、山口弥吉郎大人命の霜月御魂祀りを出雲大社相模分祠祖霊舎に於いて草山副長祭司にて執り行ふ。
 時節柄七五三の御宮參りの參拜が多く賑つてゐた。感心な事に年端も行かぬ子供が、御清め場にて親の仕種を眞似、手を清める姿に瘉される。
 數年前知人の子供に參拜の作法を教へた事がある。未だ四歳程の子だつたが、一度教へた而已だつたが、母親に眞ん中は通つてはいけない。參門の下では御辭儀をしなければならない。二拜二拍手一拜等と云つてゐた。そんな子が今は小學校高學年未だに忘れてゐない。
 幼少期に確り作法而已ならず、躾を確りしておけば子供は眞つ直ぐに育つものだと再認識させられる。神恩感謝、祖恩感謝こそが日本人として否人間としての第一歩であらう。
 そんな事を考へつつ、神道への道を開いて戴いた相原修大人命へ感謝。人として生きる道を教へて戴いた河野喜春大人命、山口弥吉郎大人命に感謝。御魂祭を祭行させて頂いた。


龍蛇神の社
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大相撲白鳳、日馬富士その他力士奉納土俵入り記念
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七五三の菊作品
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御靈が祀られる祖靈舍
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おまけ
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by iamhide3897 | 2014-11-02 18:11 | ぼやき | Comments(0)