虚け者のぼやき


by iamhide3897

プロフィールを見る
画像一覧

最新の記事

春季例大祭
at 2017-04-22 18:55
演説會
at 2017-04-16 21:47
定例會議
at 2017-04-09 12:08
民族派有志聯帶運動
at 2017-04-03 23:20
演説會
at 2017-03-30 23:35

以前の記事

2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月

カテゴリ

敬神崇祖尊皇
明鏡止水・着眼大局
皇國志士聯合
愛倭塾
告知
報告
ぼやき
旅 日記
大和舎

フォロー中のブログ

神光迎来
同血社主人の一艸獨語
もっこすのための熊本愛郷新聞

外部リンク

最新のコメント

拙生は御成敗式目に有..
by iamhide3897 at 15:40
時下ますますご清祥のこと..
by mishima19701125 at 02:38
和歌山での一時が貴兄の今..
by iamhide3897 at 14:24
先般は有難う御座いました..
by 瓶子廼舍主人 at 23:30
2 憂國者 殿 ひと..
by iamhide3897 at 12:42
憂国者殿 指示して..
by iamhide3897 at 00:34
私は右翼の人達を指示して..
by 憂国者 at 00:59
② 然し、此は單な..
by iamhide3897 at 18:15
①臣民修行者様 貴..
by iamhide3897 at 18:15
皆樣、本当に御疲れ樣です..
by 臣民修行者 at 02:30
③ 小生は尠くとも支那..
by iamhide3897 at 19:38
② 韓國や北朝鮮のやう..
by iamhide3897 at 19:38
① 何故「倭」なのか確..
by iamhide3897 at 19:37
どのやうな事が貴方の共感..
by iamhide3897 at 15:46
「和」ではなく「倭」の文..
by 何故 at 20:22
えっとこちらのブログすご..
by skuna@docomo.ne.jp at 14:59
何の情報も無く解りません..
by iamhide3897 at 22:14
寺田裕也はいつ出て来ます..
by はてな at 15:24
是非見て下さい。 淺學..
by iamhide3897 at 23:20
とても魅力的な記事でした..
by 投資の初心者 at 14:40

メモ帳

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

つぶやき
シニアライフ

画像一覧

<   2015年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

演説會

第佰四囘
  愛倭塾定例
   西葛西驛演説會


紀元二千六百七十五年三月二十二日


e0209864_2011116.jpg

 本日も晴天に惠まれ温かな日差しの中、石塚辯士の主導のもと國民儀禮から演説會は始つた。 石塚辯士は其の儘主張に移り、日本の教育課程に問題ありと説く。廻りを見廻せば獵奇的事件が多發し、驚くと云ふより怒さへ覺える。
 日本本來の教へが爲されず、民主主義と云ふ名の個人主義が蔓延し、己さへ良ければ其で良しとする傾向にある。此は日本の素晴しき精神文化を否定する事に他ならない。學校教育の中に日本人として誇を持てる教へが皆無に等しい。
 人として食育、體育、徳育を學び社會に貢獻す可く努力する事こそが學校教育の全てではないか。而、現在教育現場に修身教育が無くなつてゐる。
 本來家庭に於て行はれる可きものであると考へるが、現代の親は其の教育を受けてゐない。亦、學校の先生も然りである。では如何にす可き事かと云へば大人として考へて戴きたい。日本の家族制度は素晴しいものがあり、優れた教育を家庭に於て行つて來た。
 何時の事かは歴然としないが、核家族と云ふ言葉が市民權を得る言葉となつてしまつた。此の事が老齡化社會を作り出す一つの原因でもあり、少子化問題の原因でもある。此こそが家庭教育の崩潰を作り出した元凶であらうと説く。


e0209864_2014713.jpg

 平田辯士は、本來日本の歴史が育んだ教へが疎かにされてゐる。
 我我の住む日本と云ふ國は、 天照大御神頂點とした八百萬の神神が國體を成し、人皇の世になり 天皇陛下を中心とした臣民が其の國體を繼承してゐる國であり、世界に類を見る事のない優れた國である。にも拘はらず現在の教育は、日本の優れたものを繼承する事を拒む日本教職員組會に教育の場を奪はれてゐる状況にある。
 本來教員とは聖職であり、己の權利を主張する下世話な者では無い筈である。聖職者である可き教師が、己の慾望に負け性殖者に成り下がつてゐる者まで現はれる現在、其の樣な教師に愛する子供を安心して預けられるのか。
 前の辯士が申上げたやうに、以前には考へる事の無い獵奇的事件が多發し一般的には、安易に受け容れられる現状がそこにある。
 決して安易に受け容れては爲らないものまでが受け容れられ、其の結果人心の亂れに繋がり擧句には獵奇的事件へと發展してゐるのではないか。 今こそ見直さなければ爲らぬ時に來てゐる。子供、孫、子孫へ本來ある可き姿の素晴しい日本を繼承する爲めには、今此處で顧みる可き時に來てゐる。大人として、日本人として考へて欲しいと訴へる。


e0209864_2021135.jpg

 山口辯士は縷縷辯士が申上げた事は、全て共に生きる日本を少しでも本來ある可き姿へ戻したいと云ふ氣持から申上げたものであり、觀直さなければ爲らないものである。
 そこで、我我の住む日本の本來ある可き姿とは如何なるものか。神代の時代より受繼がれた教へとは如何なるものか。
 我我の住む日本と云ふ國は、  天照大御神を頂點とした八百萬の神神が國體を成し、人皇の世に移り尚天皇陛下を中心とした臣民が其の國體を繼承してゐる國である。亦、其の教へとは人間が最も人間らしく活きる術を傳へるものである。 此こそが、 神武肇國の敕語である「八紘爲宇」であらう。
 我我日本民族は此の「八紘爲宇」を元に何事が有つても貫き通し活きて來たのが日本人である。
 世界の歴史にある二度の大戰。日露戰爭、大東亞戰爭に於ても己の利益の爲に戰つたのでは無く、共に活きる亞細亞民族を守るが爲め、已むなく立ち上がつたと云ふ可きであらう。
 白人社會では植民地、奴隸は當然の價値觀の下に考へられてゐた。然し、日本民族は神の教へである「八紘爲宇」を持つて植民地、奴隸、人種差別撤廢を掲げ虐げられた民族の爲に戰つたのである。
 此の四月、  天皇陛下竝びに皇后に於かれましてはパラオ共和國を戰後七十年を記して訪れる。戰後六十年に北マリアナ諸島サイパン島を慰問目的而已にて訪れたが、其の時にもパラオにも巡幸爲されたいと熱望爲されましたが、パラオ竝び周邊諸國の環境が整はず斷念せざるをへず。今囘パラオ大統領の招請により決定されたものである。
天皇陛下パラオ巡幸(陛下が二ヵ所以上訪れる場合に用いられる。一ヵ所の場合は行幸となる)は亞細亞の親日國パラオ共和國の招請もあるが、戰爭と云ふ正常な場合に無ひ精神状態の中に於ても尚且つ「八紘爲宇」を元に武士道を貫徹、國の爲めに、更にパラオ住民を守る爲め尊い命を散華された大日本帝國將兵一万六千御魂英靈竝び、戰ひの相手國である米國將兵三千犧牲者の慰靈目的にて巡幸なされる。
 どのやうな状況下にあらうとも神代からの教へを守り、日本に傳はる道義道徳を遵守し、誇ある大和民族として精神文化を貫き通した先人達を御忘れに爲る事無く居られた事は我我臣民に取つて誠に慶ばしき事である。
 我我日本臣民は本来の姿を蔑ろにする政道を拂拭する爲め、  天皇皇后兩陛下を見習ひ神代からの教へを遵守する事で日本再建、中興復古の道と爲るであらうと訴へる。







[PR]
by iamhide3897 | 2015-03-22 20:02 | 報告 | Comments(0)

紀州遊學録

 本居宣長翁
    奧墓參拜


紀元二千六百七十五年三月二十一日
e0209864_2152635.jpg

 關東勢は平田安幸氏同行し和歌山先發隊、關西、九州、山口勢と松坂の本居宣長翁歌碑にて合流。
 以前歌碑は本來の位置からはづれた處へと移動されてゐた。其の事に氣附き元の位置へと戻させたのが相原修大人命である。
 我我に縁ある所でもある。況してや日本の國學四大人の一人本居宣長翁の歌碑となればひとしほである。一同神妙に手を合はせ祈る。
e0209864_21522111.jpg

e0209864_11551124.jpg

e0209864_115652100.jpg

e0209864_1158181.jpg

e0209864_115903.jpg

e0209864_11592641.jpg

e0209864_21525337.jpg

e0209864_21531119.jpg

e0209864_21534454.jpg

e0209864_2154944.jpg

e0209864_21542811.jpg

e0209864_120401.jpg




[PR]
by iamhide3897 | 2015-03-21 21:49 | 報告 | Comments(0)

紀州遊學録

平田安幸氏
  自宅急襲


紀元二千六百七十五年三月二十一日

e0209864_21483147.jpg


e0209864_21485719.jpg

時對協に於て以前より紀州にて有事、つまり災害有事に如何に生き拔く術を身に着けるかを體驗する鍛錬を行つてゐる。
 今囘は關東、關西中部、中國九州と各地から久し振りに同士が體驗鍛錬に集結する事となつた。關東方面からの面面は、少しばかり到着が早く成るとの事で急遽三重縣津市在住の大日本誠心義塾顧問の平田安幸氏宅を訪問する承諾を得て・・・・・・・・・・と云ふよりも押掛けた。
時局對策協議會、福田議長、森理事、磯理事、大岩理事、小林會員が御邪魔した。
 當然の如く熱い話しが繰り廣げられたであらう。中でも森理事は昔懐かし話と同時期に、様様な活動を共にした時期があつたやうで話に花が咲いてゐた

皇國志士聯合參加
 愛倭塾 小林 弘典 會長附

[PR]
by iamhide3897 | 2015-03-21 21:20 | 報告 | Comments(0)

◎ 厚木驛南口演説會

皇國同志會
  本厚木驛南口
    定例演説會


紀元二千六百七十五年三月十五日

☆登壇辯士☆

☆皇國同志會會長   花上  功 辯士
☆愛倭塾理事長     平田佐喜雄 辯士
☆愛倭塾會長      山口 秀明 辯士
☆皇國同志會本部長   川原 弘幸 辯士

e0209864_14191481.jpg


e0209864_14193989.jpg


 定刻十四時、花上會長の主張から演説會は始つた。
 花上會長は、此處最近話題と爲つてゐる安倍總理の「戦争責任」見解を所信表明で何を話すかが問題となつてゐる。此の事に附いて説いてゐた。
 確かに惡しき者は謝罪す可き事だが、云はれなき事まで謝罪するのは理に反する事であり、己を欺く最も恥づ可き行爲であらうと説いてゐた。
 此の云はれなき要求は全て東京軍事裁判からなる歴史觀に依つて偏向された近隣諸國の主張に過ぎない。
 抑も、東京軍事裁判自體が戰勝國の自國正當化をする爲の裁判であり何等國際法に則つたものではなく捏造された裁判であつた。此は當時此の裁判を行つたGHQ最高司令官ダグラス・マツカーサーや裁判官の一人だつた印度のパール判事が後に證言してゐる。
 會津の教へにあるやうに爲らぬものは爲りませぬ、惡しきは素直に認め正は曲げて爲らぬと云ふ事を確りと考へ治さなければ何時までも卑屈なものとなるでせうと訴へてゐた。

e0209864_14203788.jpg


 平田辯士は、日本の道義道徳は如何なる國にも優るものがある。
 神代の時代から受繼がれた悠久理歴史が物語つてゐる。人皇の世に爲つて 神武天皇が世界に向け發信したのは八紘爲宇つまり世界平和と云ふ事であり日本臣民は其の牽引者と成れと云ふ事である。
 にも拘はらず現代の日本世上は如何なるものかと云へば、川崎の中學生殺傷事件、教師の淫行事件、爲政者ともあらう者が妻子ある同僚議員と淫な行爲を公然と行つた。等と算へれば限りの無い程、考へられない事件が續發してゐる。
 此は全て我我日本に傳はる精神文化を蔑にする教育の結果であらう。日本に生れ日本に育つた事に自覺も誇も持つ事のない人間が美しい日本を作り傳へる事など出來よう筈はない。今一度考へ直さなければ爲らぬ時ではないかと説く。

e0209864_14221169.jpg


 山口辯士は、今現在日本に起きてゐる樣樣な事、考へて見て戴きたい。縷縷辯士が壇上から訴へた事は全て、本來日本のある可き姿ではない事から始つてゐる。
 テレビ新聞などに取上げられてゐるアイシル、イスラム原理主義を訴へる集團は邦人二名を拘束殺害した。更に「日本は惡夢に暴される事になる」と表明した。此は殺害された二名の邦人が例へ反日活動家極左であらうが、
天皇陛下の赤子には變りなく、赤子を殺害したと云ふ事は明確な日本の敵だと云ふ事に疑ふ餘地はない。而、彼等アイシルは宗教的思想に依つて行動してゐる。と云ふ事は、日本に宣戰布告をしたとなれば神道に於て何處を狙ふかと云へば當然の如く宮城であり  天皇陛下を標的にして來る事は至極當然であらう。
 此は、決して有つては爲らぬ事であり、國體護持をもつてすれば、如何なる事が有つても死守せねば爲らぬ事である。では我我臣民が宮城警護が出來るのかと云へば皇宮警察、警視廳、機動隊、更には自衞隊が警護に當る事であり、我我臣民の入る餘地はなひだらう。では我我臣民の出來る事は何かと云へば、意識、感心を全ての國民が持つ事であらう。
 常に國體護持を心掛け共に細心の注意を怠らぬ事が萬全の抑止力になるであらう。
 然し、現在報道される國會中繼を見れば、民主黨の稚拙な荒ら搜し、揚足取り、誹謗中傷と何かを為し得るため努力する姿には決して見えず、全く呆れ果てるものである。
 元來日本の持つ抑止力は財力でも軍事力でもなく白人社会が最も恐れた君民一體の擧國一致である。即ち、  天皇陛下の下、國民が一致團結し難題に立向ふ姿こそ日本が持つ最大の抑止力なのである。
 現在日本の置かれた窮地には、くだらぬ政治屋の利權爭いやメイデアの誘導に惑はされる事なく、本來日本人の持つ可き姿を取戻す事が此の窮地を乘り越える手段であらう。
 本日は東日本大震災の被災地石卷へ災害復興支援の爲め、  天皇皇后兩陛下が行幸爲されてゐる。 被災者の目線に立ち、其の生活を見て苦汁を知る事から御言葉を掛け勵ましてゐる。  被災者にとつてどれ程の勵ましになるか。行政のいい加減な支援など問題にならぬ程の力を與へて戴いたと支援者の聲である。
 亦、此の平成二十七年四月八日、パラオ共和國からの招請に戰後七十年が經ち初の  
天皇陛下竝び皇后の巡幸が確定され、出發なされる。能く能く喜ばしい事である。
 此のパラオ共和國は十六世紀からスペイン、ドイツの植民地だつたが大正八年からベルサイユ宮殿に於けるパリ講和條約により日本が委託統治となつた關はりの深い國である。
 大東亞戰爭に依つて南洋海域の島島では、連合國と日本の間だにて壯絶な激戰が繰り廣げられ、玉碎した島島が多くあつたが、パラオ共和國のペリリュー島では
 日本軍戰死者一万六百九十五名
    捕虜 二百二名
 亞米利加軍戦死者 一千七百九十四名
    戦傷者 八千十名
 此の他、守備隊の烈しい抵抗に精神に異常をきたした者が數千名出ると云ふ、激戰があつた處である。
 中川州男大佐率ゐるペリリュー島守備隊は、此の戰の中、武器彈藥食料が盡き何度も指令本部に玉碎を打信したが、本土への空爆を沮止する爲め死守せよとの命令に七十三日間にも及ぶ激戰を行つた。最後には守備隊長中川州男大佐、師団派遣参謀村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を傳へる「サクラサクラ」の電文が送られた。
 此の戰の前、米英聯合艦隊の總攻撃があるとしてペリリュー島住民は「貴方達と地もに戰はして欲しい」と進言したが、中川州男守備隊長は激昂し「貴樣等土人と賤しくも帝國軍人が戰へるか、歸れ」と叫んだ
 住民は皆今迄友達、仲間、家族と親しくして來たのは僞りか、欺いてゐたのかと悔し涙を流し歸つたさうです。
 島民の強制疎開が空襲を避ける爲め行はれ、夜疎開船に島の住民達は泣乍ら、悄然と船に乘込んだ。今迄仲間、友達、家族と共に働き、歌ひ、寢食を共にした日本人は見送りに來ないと嘆いた。
 然し、船が岸壁を離れた瞬間、暗闇の向うに月の光に照され、何時も共に歌つた唄を歌ひながら、手を振る中川州男守備隊長を先頭に全ての日本兵がゐた。
 其の時初めて「貴樣等土人と賤しくも帝國軍人が戰へるか、歸れ」と激昂したのは島の住民を戰火に交へる事なく救ふ爲めだつたのかと悟つた。
 其の結果島の住民は一人として死傷者を出す事なく無事七十三日間の戰ひの後、島へ歸る事が出來た。
 疎開から島へ歸つた住民は其の光景に愕然とした。島中に散亂する日本兵の屍體、共に働き、共に歌ひ、寢食を共にし最後には命を救ふ爲嘘まで附いて守つてくれた者達の無慙な姿。島民達は涙を流しながら遺體を集め手厚く埋葬した。
 其の墓は未だパラオ國民に依つて懇ろに守られてゐる。
 パラオが戰後獨立しパラオの國旗が日本の國旗に極めて酷似してゐるのも其の事が有つたからである。
 此のやうなパラオ共和國へ慰問の爲め巡幸なされる事は、パラオの住民ペリリュー島の住民を戰火から守り、日本を守る爲め尊い命を散華させた英靈、延いては日本臣民を常に御忘れなく居て下された事に感謝す可きと訴へた。

e0209864_1424273.jpg








[PR]
by iamhide3897 | 2015-03-16 14:25 | 報告 | Comments(0)

武士道(二)

誇り高き武士道


紀元二千六百七十五年三月十三日

e0209864_12242044.jpg

                   大日本帝國陸軍中川州男大佐

 平成二十七年四月パラオ共和國からの招請に戰後七十年が經ち初の  
天皇、皇后兩陛下の巡幸が確定された。
 戰後六十年に當る、平成十七年六月二十七日二十八日と北マリアナ諸島サイパン島へ親善目的ではなく慰問目的而已にて行幸遊ばれてゐる。其の際パラオにも巡幸爲さりたいとの強い御希望であつたが、パラオ共和國竝び周邊諸國の環境が整はず斷念せざるをへなかつた。
 今囘、パラオ共和國巡幸は平成二十七年四月八日御出發なされパラオ共和國、バベルダオブ島、コロール島を巡幸、翌九日ペリリュー島、バベルダオブ島と巡幸なされ、先の大戰に散華せし一万六千御魂英靈竝び米國三千犧牲者の慰靈目的は勿論の事だがトミー・レメンゲサウパラオ大統領他近隣諸國大統領とも國際親善を深めるものである。
 心臓の冠動脈バイパス手術を爲され體調が危惧される中、長きに渡る熱望の御巡幸は能く能く喜ばしい事であるが、拙生の最も喜ばしきはペリリュー島巡幸である。
今上陛下は、ペリリュー島にて八紘為宇を基にした武士道を貫徹し島民一人として犧牲者を出す事無く、七十三日間にも及ぶ激戰を戰つた英靈を忘れる事無く居て下さつた事である。
 先の大戰にて南太平洋戰線では數多の激戰が行はれたが、ペリリュー島の戰は謂はば一般人、島の住民を一人として死者、負傷者共に犧牲者を出さなかつたのである。
 パラオは一六世紀頃、海運技術の進歩によりヨーロツパ人が訪れるやうになり一八八五年にスペインの植民地にされた。ヨーロッパ人により天然痘などが持込まれ、パラオの人口は九割程度減少した事もある。
 國力が衰退の一途を辿つてゐたスペインは、一八九九年グアムを除くスペイン領ミクロネシアを四五〇万ドルでドイツに賣卻、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地と爲つてゐた。
 ドイツはココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルに於けるリン礦石採掘などの産業振興を行つたが、
國民福祉の向上と國民經濟の発展に必要な公共施設や教育施設に一切着手せず、他の植民地同樣搾取する而已。當然の如く島民への扱ひは奴隸であつた。
 一九一四年に第一次世界大戰が勃發。當時連合國の一國であつた日本は海軍を派遣しドイツを降伏せしめパラオを解放、パリ講和會議によつて、大正八年パラオは日本の委託統治と爲つた。
 日本委託統治の明治十八年には居住者三万三千九百六十人、其の内訳は内地出身日本人二万五千二十六人、朝鮮半島出身日本人二千四百六十人、パラオ人先住民六千四百七十四人、其の他スペイン人・ドイツ人宣教師十八人と四分の三は日本人であつた。
 日本の統治が始つてからは病院、學校、道路等等國民福祉の向上と國民經濟の発展に寄與した。亦、米食の習慣を定著させ、茄子や胡瓜など野菜やサトウキビ、パイナツプルなどの農業を持ち込み、マグロの罐詰やカツオ節などの工場を作つて雇傭を創出した。道路を鋪裝し、島々を結ぶ橋をかけ、電氣を通し、電話を引いた。
e0209864_9295791.jpg

             当時の、パラオの首都のコロールは一方の都市と成つた

 更に現地先住民には友達、仲間と差別する事無く接しドイツ植民地時代には同室にゐるなど有り得なかつた。亦、共に呑み、共に歌ふ酒盛をし、日本人は差別しないと徐々に受け容れられるやうになつた。
 子供達の學校教育もパラオの文化を守り乍ら共に歌ひ共に學びと日本語も教へ、公用語として受け容れられた。其の事で未だパラオでは日本語の歌や名前が存在してゐる。
 大東亞戰爭末期には南洋群島周邊では烈しい戰が數多くあり。ペリリュー島に於ても日米兩軍の壯絶な七十三日間にも及ぶ戰ひが有りました。
 米軍は、日本軍の兵力の約四倍・航空機二百倍・戰車十倍・重火砲百倍以上の壓倒的軍事力で總攻撃をすると情報に島民は仲間と話合つた結果、代表數人と共に守備隊隊長中川州男(くにお)大佐を訪れ、「私達も仲間として共に戰はして欲しい」と申出をした。
其を聞くなり中川大佐は激昂し「帝國軍人がきさまら土人と一緒に戰へるか」と叫んだ。
日本人は仲間だ友達だと云ひ乍ら見せ掛けだけで、我我を欺いてゐたのかと島民は裏切られた氣持に涙を流した。
 空襲を避ける爲、島民全てが強制疎開に船に乘り島を去る夜、日本兵は誰一人見送りに來ない。島の若者達は、悄然と船に乘込んだ。
 然し、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が夜の濱に走り出て來て、一緒に歌つた唄を歌ひ乍ら手を振つて彼らを見送つてゐた。
 月の光に照された其の先には、先頭に立ち笑顏で手を振るあの守備隊長中川大佐がゐた。
其の瞬間、あの言葉は自分達を戰火に交へる事なく救ふ爲だつたと悟つた。
 七十三日間の壯絶な戰ひの中、守備隊は何度も指令本部へ玉碎を申出たが、指令部は死守せねば本土への攻撃が加速されるとして何としても死守せとの命令だつた。
 守備隊に取つて彈藥も食料も底を盡き死守する事より玉碎の方が如何に樂だつたか。にも拘はらず七十三日間も持ち堪へ、最後に守備隊長中川州男大佐、師団派遣参謀村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を傳へる「サクラサクラ」の電文が送られた。殘りの日本兵は自決する武器彈藥すらなく自決出來ぬ事を恥ぢた五十數名が殘つたが捕虜として捕へられた。
 パラオ海域日本軍戰死者一万六百九十五名
 内ペリリューウ島戰死者一万二百名
    捕虜 二百二名
 内ペリリューウ島生存者三十四名
 パラオ海域亞米利加軍戦死者 一千七百九十四名
    戦傷者 八千十名
此の他守備隊の烈しい抵抗に精神に異常をきたした者が數千名ゐた。
 亞米利加軍は壓倒的軍事力にて三日で制壓出來る豫定だつた。然し、中川州男大佐率ゐるペリリュー島守備隊の國を家族を、そして島民を守らむとした武士道精神が奮鬪せしめた。戰ひは激烈な戰ひとなり七十三日間も續いたのだ。
 壯絶な激戰も終へペリリュー島へ歸つた住民は、無造作にころがる共に働き、歌ひ、呑み、語りあつた日本兵の多くの屍體を見て聲を上げ泣いた。
 亞米利加は自國の兵士の遺體のみを囘收したが日本兵には目もくれる事は無かつた。住民は占領國征服民族の本性を見たと嘆き、島民擧つて涙して日本兵の遺體を集め埋葬した。
 大東亜戰爭終結後、パラオなど南洋の島々は亞米利加の統治領となつたが、ペリリュー島島民に依つて作られた墓を現在も尚、守り清掃が爲されてゐる。
 此の戰の生存者に聞けば、皆同じく口を揃へ、あのやうな戰爭は二度としたくない。然し國の爲家族の爲そしてペリリュー島住民の命を守つた事は誇に思ふと云ふ。而、パラオ國民は如何に思ふかと云へば當時の經驗を御老人が若者のへ傳へてゐる。日本が來てから植民地とされ奴隸と爲つてゐたパラオを解放、傳統文化を殘しつつ見張るばかりの發展を遂げた。更に心豐に營んだ生活は忘れ得ぬものと傳へられてゐる。亦、パラオハイスクールでは日本の教育は八紘爲宇を下に如何なる者も全て平等に扱ひ差別はない。日本人であらうが先住民であらうが努力した者を平等に評價したと教へられてゐる。
 因にパラオの國旗を知つてゐるだらうか。パラオの國旗は日本の國旗に極めて類似してゐる。と云ふのは日本に對する敬意から作られたものである。日本の國旗は白地に赤の太陽が印されてゐるが、パラオの國旗は海を表はす青地に黄色の月が印され、更に同じデザインでは日本に失禮として月を少し左に印されてゐる。亦、月は太陽が出なければ輝く事が出來ない。つまり、月は太陽に依つて支へられ、月として生命を持つとされ、太陽は日本の事である。
 右記記された事は、神代の教へからなる八紘爲宇の教へを基にした武士道から爲された史實である。
 此の事を日本人は知る者は極く稀であり、國に誇を持つ爲にも教育の場にて傳へる可きであると拙生は切望するものである。

e0209864_23304535.jpg

            日本国旗
e0209864_0221194.jpg

            パラオ国旗


 昭和五十六年
  パラオ獨立の記念に
   パラオ國民により作られた唄

ペリリュー島守備隊を讚へる唄

一、激しく彈雨(たま)が降り注ぎ
  オレンジ濱を血で染めた 
  つわものたちは皆散つて
  ペ島は全て墓(はか)となる

二、 小さな異國のこの島を
   死んでも守ると誓ひつつ
   山なす敵を迎へ撃ち
   彈撃ち盡し食糧もない

三、 へいしは櫻を叫びつつ
   これが最期の傳へごと
   父母よ祖國よ妻や子よ
   別れの「櫻」に意味深し

四、 日本の「櫻」は春いちど
   見事に咲いて明日は散る
   ペ島の「櫻」は散り散りに
   玉碎れども勳功はとこしえに

五、 今もののふの姿なく
   殘りし洞窟の夢の跡
   古いぺ島の習慣で
   我等勇士の靈魂守る

六、 平和と自由の尊さを
   身をこなにしてこの島に
   教へて散りし「櫻花」
   今では平和が甦へる





https://www.youtube.com/watch?v=3Yv471RNBfo&feature=player_embedded
この動画を是非見て頂きたい。






[PR]
by iamhide3897 | 2015-03-13 23:30 | 大和舎 | Comments(0)

囘教原理主義暴徒集團に對し

アイシル、
イスラム暴徒集團に對し


e0209864_1249294.jpg


 先日、某團體の長より機關紙が屆き讀んでみれば、本來連載す可き記事を變更、目下世相に議論されるISIL囘教原理主義の暴徒に對し、我我日本臣民は如何なる對應を執らねば爲らぬかを先哲に學べとして山崎闇齋先生、相模太郎、藤田東湖先生、大橋訥庵先生他多くの先人達の言葉を借り誰にも解るやう説いてゐた。強く感銘するものであつた。
 而、拙生は如何に捉へたかと云へば、某團體の長曰く全く其の通りであり、報道各社の稚拙な利に捉はれる報道に惑はされる事無かれと確信するものである。
 此處の所、拙生の所には樣樣な聯絡があり、中には可なり過激な行動を誘する知らせもある。更には囘教徒と共鬪しよふ等と誘する呆然となるものさへある。此は報道に惑はされ本來の姿を見失つた者と判斷する。我我民族派を稱する者として恥づ可きものと拙生は考へる。
 湯川遙菜、後藤健二兩氏を拘束殺害に及んだ。彼らアイシルは兩氏殺害の際「日本の惡夢が始る」としてゐる。彼らが國家であらうが一傍若無人な團體であらうが皇國に對する宣戰布告を行つた敵と成つた事は疑ふ餘地はない。
 報道各社の云ふ戰後民主主義を基にした個人の生命、權利、尊嚴は確かに尊きものである事は間違ない。然し其の個人の據る所の國家の名誉と尊嚴は更に尊きものである可きであらう。
一般の日本國民もさる事乍ら、民族派を稱する者ならば尚の事、稚拙な報道に惑はされ愚かな行動に移す事は時期尚早であると斷言する。
 湯川遙菜、後藤健二兩氏の拘束報道以來日本中が浮き足立つてゐる。更に云へば此の責めは何處にあるか搜り追求する事に奔走する始末、本來の姿を忘れ恥づ可き姿を暴し茫然と爲るばかりである。
 確かに兩氏の生命は尊いものである。然し、更に尊む可きは一億二千萬國民の據る所である皇國に外ならぬであらう。
 此のやうな宣戰布告に對し、防衞には專守防衞が必需であらう。而、專守防衞の條件は擧國一致が必然である。擧國一致つまり政、官、財、民が一體とし對處する事が必望される所である。
 拘束報道以來の日本はどうあらう、浮き足立つばかりで足の引つ張り合ひ、あら搜し、揚足取りと國會而已ならず日本中が此の事に奔走する始末である。
 我我日本國民が守らなければ爲らぬものは國是、而て國是とは皇國日本宮城奉護の大義であり、どのやうな状況下にあつても守り受繼いで來た、先哲の遺産であり悠久の歴史の中、神代の時代からの教へであるが故に、大東亞戰爭勃發當時西歐列強が最も恐れた日本民族の君民一體を基本とする擧國一致の精神は連合國により破潰されやうとした。然し、衰退こそせども、未だ日本民族の遺傳子に存續されてゐる事が東日本大震災の際世界中を驚愕せしめた事が證明である。
 依つて我我民族は先哲に多くを學び君民一體を本分とし專守防衞を達成す可く勤める事肝要と心得る。















[PR]
by iamhide3897 | 2015-03-09 12:49 | 大和舎 | Comments(0)