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虚け者のぼやき


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虚け者のぼやき

自浄能力



令和三年(紀元二千六百八十一年)十月六日
 本日は相原修大人の命の斎(いみび)である。




  魑魅魍魎(ちみもうりよう)群の画像
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例へ一般車両も利用可能とあっても「道義心」の有る者であれば此の様な筈可き行為はしないであらう。
 亦、反省したと云ふ人間のする可き行動であらうか。
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此の記事を讀んで戴ければ如何に辻元清美が正に魑魅魍魎(ちみもうりよう)と云はれる者であるかは御理解戴けるものと信じます。
    



 自浄能力と云ふ言葉は一般的には無いだらう。自浄作用と云ふのが一般的であらうと思はれる。
 一部の博識ある人間、若しくは知識人と云はれる人達には政治や政治家には自浄能力が必要だと云ふ、これは自浄作用の事であり簡単に云ふなら「亂れた襟元を正しく整へる」あるいは「勝つて兜の緒を締めよ」といふ意味である。ようは政治や政治家が求められるのは自己管理能力が高くなければ成らないといふ事を云つてゐるが、昔、亡き父が口にしてゐた言葉に政治家とは平氣で嘘が云へなければ成らない。又、羞恥心と云ふものも持つては成らないだつた。つまり、自己管理能力等と云ふものなぞ持とう筈も無ひのだ。
 此の度、行はれた自由民主黨総裁選挙は其の極みと云へやう。
 総裁選挙に勝利した岸田文雄氏は、當初自民黨の諸悪の根源は権力の集中にありと云はんばかりに前幹事長、二階俊博氏へ鉾先を向けてゐたが、高市早苗氏が安倍晋三元首相の支援を受け立候補する事と成つた途端、トーンダウンしたのは周知の事である。派閥の力学を維持する爲には安倍晋三元首相も麻生太郎副総理も必死に根回し、水面下での工作を行ったであらう事は、黨人事、岸田内閣閣僚に現れてゐる。
 甘利明氏が幹事長に抜てきされ、黨副総裁に麻生太郎副総理兼財務相、高市早苗前総務相を政調会長に登用、総務会長に福田達夫衆院議員を抜てき、ただ二階俊博幹事長を外す考えを示して人事に期待する声もあったが、古い軆質を刷新できなかったと失望する声も多い。
 此の内容を見ても解るやうに、正に魑魅魍魎(ちみもうりよう)と云はれる者のコップの中の嵐と云ふ可きものであつたのだ。
 とは云ふものの與黨だけではなく野黨に於いても魑魅魍魎(ちみもうりよう)と云はれる例外ではない。余りにも低俗であり黨利黨略の爲、揚げ足を取ってゐるに過ぎない。最も筈可き事は彼らの言葉に國を憂うると云ふ事が全く傳はつてこない事だ。
 菅総理から誰に變はらうとも自民黨は變はらない變はれない等と共産黨志位和夫委員長は尤もらしく云つてゐたが、そんな事はその辺のおばちゃんが道端で行はれる井戸端会議で話してゐるのだ。何もテレビの報道番組で鬼の首を取ったが如く云ふ可き事では無い。
 亦、立憲民主黨枝野幸男代表は総裁選最中、新潟にて街宣車の上から「危機感のない與党に政治は任せられない」 「コロナ禍のなかで自民黨の総裁選挙などやっている場合では無い」等と云ってゐた。然し、十二年前民主黨の鳩山と管の間で行はれた代表選で、円高による輸出低迷、國による一時も早い為替市場介入が必要となつてゐたにも拘はらず、民主黨の代表を決める為に、國の存亡が拘はる緊急事態を疎かにしてゐた代表選で内閣府特命担当大臣の肩書きをもつて中心人物の一人としてゴソゴソ動き回ってゐたのは現、立憲民主黨枝野幸男代表お前だらうと云ひたい。
 更に九月十八日の盗撮事件、立憲民主黨の五十代の男性黨本部勤務職員が、出張帰りの電車の中で、向かいに座る女性をスマホで盗撮。埼玉県警に逮捕された。
 “盗撮”が女性の尊厳を踏みにじる卑劣な犯罪であることは論を俟たない。
連休明け翌日の九月二十二日枝野幸男代表のぶら下がりで、“職員は勞働者”“彼の勞働基本権に基づいて”“男性か女性かで分ける時代ではない”と、訳の解らない應答、職員の性別も含めて回答を拒否。職員を庇うかのような態度に報道は過熱し、党内から批判の声も自民黨に對し様様な説明責任があると詰め寄る人間の取る態度であらうか
つまり、與黨も野黨も魑魅魍魎(ちみもうりよう)であり目くそ鼻くそに期待するほど無意味なものであると確信する。
 では、どうしたら日本は變はれるのかと問はれれば、拙生個人としては今ではない。最と最と悪く成って國民の意識が變はらなければ成らない。今が良ければ其れで良い等と云って居るやうでは變われる筈も無いと信ずる。
 今、日本國民の意識は低過ぎる。明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。徳富蘇峰翁の言葉で、眞に國體(こくたい)の精華(せいか)を自覺し國(こく)性(せい)の眞粹(しんすい)を會得(えとく)、自ら進んで其の短所弱點を補ふことに勗むる(つとむる)。即ち善も我國、悪も我國ではなく善は我國、惡は我國より退治し去る之(これ)大國民の大襟度(きんど)を持たなければなぬ。とあるやうに日本國民の意識が向上し二千六百八十一年の歴史の中、三度のみ起こつた維新、つまり、大政奉還で無ければ日本は變はれないと信ずる。


































































# by iamhide3897 | 2021-10-06 13:04 | ぼやき | Comments(0)

同志の訪道

久し振りに同志の訪道


令和三年(紀元二千六百八十一年)九月二十五日




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 久し振りに嬉しい連絡が入っつた。
大日本愛國團體聯合時局對策協議會・皇道日報 埼玉支局長磯和典氏が仕事で札幌へ來ると云ふ。
 退院後、免疫力の著しい低下でコロナ禍に於いて逢う事は危険を伴ふ事に成るとして、本来嬉しい申し出を全てと云ふ程に御断りせざる負へなく成つてゐた。誠に心苦しい事である。
 而して、リハビリの爲、此処札幌へ來て數ヶ月、數多の同志諸氏から励ましの御言葉を戴いたが直接對面する事は無かつた。
此の度、仕事の序でと云ふ事でもあるが態態札幌迄逢ひに來て戴いた。
午前十時大通公園にて小一時間逢ふ事と成つたのだが、自宅から七丁目は約五百メートル位歩いて行くと磯支局長は友人川田氏と共にベンチに座つて待つてゐた。
挨拶もそこそこに、皆一應に云はれる事だが事故を起こした事が信じられないと云ふ。何故慎重な人がと拙生を知る人間は必ずと云ふ程、御約束の如く云はれる。然し、己自身事故後、幾ら考へても何故あの様な場所でと思ふばかりであり、此は忸怩(じくじ)たる處、摂生の過失怠慢である事は確かで仕事に對する自己過信以外の何物でもなひ。と己の恥を一通り話し理解はしてもらへた。
日だ溜まりの中で一時の時間を過ごす、磯支局長も名残惜しそうにしては居たが、流石に帰りの飛行機の時間が迫つてゐるやうで、余り引き留めては申し訳ない。
 川田氏の車で札幌驛迄送つて貰ひ千歳と云ふ事で、札幌驛で主幹へ逢った事を連絡しておくとの事であつた。
 今日は有意義な一日を戴いた日で有つた。





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# by iamhide3897 | 2021-09-25 18:55 | ぼやき | Comments(0)

一昔前

 十二年前、札幌大通公園にて立ち会い演説でこんな事を云つてゐた。
當時、民主黨は國民そつちのけで代表選挙を行つてゐた。其れを主導してゐたのは誰あらう立憲民主黨代表枝野幸男だつた。
 現在自民黨の総裁選を新潟市に於いて國民の生活を壊し、強い者と弱い者に二分してきた政治を終はらせなければ成らないと訴へたが、どの口で云ふのか。





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   札幌大通公園演説会




令和三年(皇紀二千六百八十一年)九月十九日

平成二十一年(皇紀二千六百六十九年)九月十九日


 扨、此処暫くの報道を見れば、日本の政局は大きく後退してゐる事は、私が此処で申すまでもなく皆様、私以上に御存知のことゝ思ひます。
 先日、行はれた民主黨代表選挙、是の代表選によつて何れだけの無駄を行つたのか! 今、日本の現状を考えれば、この様な事をしてゐる時ではない。
 円高による輸出低迷、國による一時も早い為替市場介入が必要となつてゐたにも拘はらず、一黨の代表を決める為に、國の存亡が拘はる大事を疎かにしてゐたのです。是の遅れが今後どの様な影響を及ぼすか皆さん考えてみて下さい。世界経済を見れば一目瞭然、日本は世界経済の中取り残されることは必至です。亦、皆さんも新聞テレビにて御存知のやうに尖閣諸島には領土問題なぞ存在しないのです。昭和四十六年尖閣諸島付近の海域にガス田等地下資源が有ることが解り、その資源を巡り領有権を支那(中国)、台湾は言ひ出したのです。其れまでは全く存在しなかったのです。支那(中国)と云う國は嘘も百回言えば本当になると云われた國ですが二十年前は三回云えば本当になると云はれた國なのです。然し、現在は云った者勝ちの國です。其のやうな國を相手に外交を行ふと言ふことは戦ひ其のものなのです。其の戦ひに出遅れると云ふことは間違ひなく負けると云ふこと。亦、負けないまでも非常に苦戦することは間違ひないのです。
 是の政治、経済、科学、産業、と混迷を極めてゐる状況下で民主党の議員は本当に國のこと國民のことを考えてゐるのか。私には己の得票率のみを考へているやうにしか見えない。この様になつたのは何故なのか皆様考へたことがありますか。
 「天下興亡・匹夫有責」(天下の興しは匹夫にも責任有り)つまり国が興るも滅ぶも、其の責任の一端は國民にあるとゐふ事です。 民主党に政権を與へたのは皆さん、皆さんなのです。昨年七月この場で私は皆さんに声を大にして訴へました。我々が如何に民主党は成熟した黨ではない、と云ふより日本の与黨として相応しくない、歴史的に見ても日本の風土伝統文化にそぐはないと訴へたにも拘わらず、皆さんは余りにも前自民黨が腑甲斐ない爲め良ひ悪ひではなく民主党に政権を与えてしまつたのです。
 当然政権を与えた其の責任の一端は皆さん! 皆さんにもある筈です。
 愛國心と云えば眉を顰める(しかめる)方も居られるでせう、然し、決して眉を顰める(しかめる)やうな事ではなく、愛國心とは所謂(いわゆる)國自慢ではなく、己惚(うぬぼれ)根性でもなく眞に國體の精華を自覺し國性の眞粹を會得、自ら進んで其の短所弱點を補ふことに勗むる(つとむる)。即ち善も我國、悪も我國ではなく善は我國、惡は我國より退治し去る之(これ)大國民の大襟度(きんど)を持たなければなぬ。と徳富蘇峰の著書にある言葉です。つまり良いものは育み悪いものは省き外國に劣らぬ國にしなければならないと云ふことなのです。
 言葉巧みに心地良いことを並べる民主黨、無駄を無くすると云ひ放したのは良いが全く其の成果は無く、國民の生活が第一、元気な日本を復活させると、黨の第一目標に掲げながら誰の目から見ても無駄としか見えない議員歳費の問題は一切無視。
 國民に負担を強いるならば先ず議員歳費を見直すべきである。他国と比べると一目瞭然、余りにも高ひ歳費は驚くべきものです。国会議員の歳費(給与)は年収約二千二百万円、文書通信交通滞在費その他、立法事務費と議員一人に対し年間約四千二百万円が税金から支給されてゐるのです。 アメリカの議員歳費は年額約千七百万円、イギリス下院は約九百七十万円です。日本の国会議員は世界的にトップクラスの歳費を受け取つてゐるわけですが、其れに見合つた働きをしてゐるのかどうかが問われるのではないでせうか。
 亦、尖閣諸島で問題になつてゐる領海侵犯は漁船ばかりではなく、中国海軍の潜水艦は平気で訓練中間違えて入つてしまつたと嘯く(うそぶく)始末、その嘘に何の制裁も加えることの出来ない政府の弱腰は、中国政府を増長させるだけであり、気が付けば領土領海を奪われることに繋がるのです。嘗て聖徳太子は小野妹子を遣隋使として使はし國書に「東の天皇(てんし)敬(つゝし)みて西の皇帝に白す(まうす)」とあくまで我が國威を示し、何処までも對等であると禮をつくし國書を送つた。当然他國を属國扱いしてゐた随王は無禮(ぶれい)だと大いに怒つたが聖徳太子は一歩も譲らず貫ひたのです。外交とは戦ひであり國體は絶対に変えては為らないものなのです。
 是のやうに日本の國是を貫く政治家、官僚が、今ゐるでしやうか。何事に於いても不得要領(ふとくようりょう)な、つまり要領を得ない、曖昧(あいまい)な外交を行つてきた結果が今に現れてゐるのです。では、どうしたら良ひのか!。
 此処まで体たらくな外交を行つてきたのですから今すぐに何とかと云つてもどうにも成るものではないと思ひますが、我が國日本は、幾多の困難にも皇運扶翼、天業翼賛を持つて一つに纏まり乗り越へてきた國。日本は神國であるといふ固有思想が高揚(こうよう)し、天照大神の末裔(まつえい)である天皇陛下を頂点とし、神神の御加護が永遠に約束されると云ふ希望が膨らみ達成されたのである。
 國と云ふものは良きにつけ悪しきにつけ一つに纏まらなければ強くは為らない。現與黨の民主黨に國を一つに纏める力があるかと云へば、その希望は皆無に等しい。何故なら民主黨自体寄せ集めの黨であり日本の風土伝統文化にそぐわないのです。
 全く持つて日本と云ふ國がどの様な國柄かと云ふ事が分かっていない議員ばかりが集まった黨である この様なことになった原因の一つは、政権を與へた其の責任の一端は皆さん! 皆さんにもあると云ふ所にあるのです。亦 聊か(いささか)言い過ぎと言はれるかも知れませんが、GHQの愚民化政策の一つ民主主義教育という美名の元に行はれた個人主義が起こした結果。日本国民は家畜化してしまつたのです。
 何事に於いてもへられることばかり望み、己から何か働きかける事を怠つてゐる。家畜は、己の力で食物を得てゐる訳でもなく寝床を得てもゐない。全て與へられ生きてゐる、勿論感謝などしない。現在の日本人に酷似してゐると云へやう、何事に対しても感謝する事が希薄になつてゐる、その結果信仰心の薄れ、更に向上心の欠如と繋がつてゐるのだ。優れた人間が育たう筈もない。
 愚民化に加担した共産党、旧社会党の影響を戦後、受けた民主党に日本再生なぞ出来やう筈はない。
 日本復古と云ふならば、先ず日本と云ふ國が如何なる國か亦如何なる民族かを知らなければ成らない。
その為には大東亜戦争後GHQが恐れた「八紘爲宇」を基にした神道、武士道、日本国学を破壊する爲、神道廃止令を敷き、更に古來より受け継がれた國学書を全て焼き払はうとした。然し隠し持つ物まで全て回収でき無かつた。最高司令官マッカーサーの取つた苦肉の策は、読めないやうにする爲、歴史的漢字、仮名遣ひを現行仮名遣ひに換へたのだ。つまり國語の破壊である。其の國語破壊をサンフランシスコ講和条約締結時に吉田茂の側近と云はれた白洲次郎は戻さうとしたが、日本教職員組合の猛反発により断念せざる負へなかつた。國語破壊の張本人はマッカーサーでもアメリカでもGHQでもない。日本教職員組合なのです。
 考へて頂きたい、日本の歴史二千六百七十年現行漢字仮名遣ひを読むやうになつたのは昭和中期からのわづか五十年程である。其の結果それ以前の書物は読む事は非常に困難に成つてしまつたのである。
 神武天皇肇國以来受け継がれた神道を基にした歴史、伝統文化に育まれた道義道徳、素晴らしい國柄を記した書物を読む事が出来ない。つまり、國として真の姿を見ることが出来なくなつてゐる。当然日本人として誇りを持つ事は出来ない。GHQは思惑通り愚民化に成功したのだ。この愚民化政策、現行教育の結果、先程も申したように、日本國民は家畜化してしまったのです。
 日本復古と云ふならば、世界一美しいと云はれる大和言葉を取り戻し欧米諸國が恐れて止まない日本國学。士道、武士道を取り戻すこと、更に日本古来より受け継がれし、敬神崇祖の道に覚醒した時に日本は武力に頼らぬ、大いなる抑止力を持つことゝ成るであらう。この抑止力こそが我が祖國日本の希望である。
 善良なる札幌市民の皆様、今こそ古来より受け継がれた大和言葉、正当漢字、正當仮名遣ひを取り戻し正しい日本の真の姿を見直そうではありませんか。


 と、十二年前札幌大通公園にて訴へたのですが、現在、未曾有のコロナ禍に日本の政治家は何を考へ國民は何を望み日本は何処へ向かうのか。
 GHQの弱体化政策の成果は民主主義教育という美名の元に行はれた個人主義が起こした愚民化。何事に於いても與へられることばかり望み、己から何か働きかける事を怠つてゐる。勿論感謝などしない。日本國民は家畜化してしまつたと云つても過言ではないでせう。
 其の要因は歴史的正當漢字、正當仮名遣ひを現行仮名遣ひに換へ、國語を破壊したのだ。而も國語破壊の張本人はマッカーサーでもアメリカでもGHQでもなく日本教職員組合であり、更に、畳の生活からフローリング椅子の生活に変へた事により礼儀作法までもを壊し、而して神武天皇肇國以来受け継がれた神道を基にした歴史、伝統文化、道義道徳、素晴らしい國柄を記した書物を読む事を出来なくした。つまり、日本國として真の姿を見る事を出来なくし当然日本人として誇りを持つ事も出来ない。GHQの思惑通り愚民化、家畜化に成功した。

 今一度考へて戴きたいと眞心より願ふばかりである。


































































# by iamhide3897 | 2021-09-19 14:03 | ぼやき | Comments(0)

虚け者のぼやき


ブログ開設から十一年


令和三年(紀元二千六百八十一年)九月十七日



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       昔懐かし車両である




ブログ開設から十一年、途中と云ふより昨年一年拙生の怠慢過失による交通事故を起こしてしまい,生死を彷徨ふ事態を引き起こし、長い入院を余儀なく去れてゐた爲、約一年ブログ更新をする事が出來ずに居た。依つて、実質十年である。
 皇紀二千六百七十年つまり平成二十二年九月一日開設から十一年が経つてしまつた。
 此からは出來る限り更新したいと思ふ。然し乍ら、先に申し上げたやうに己の怠慢過失による交通事故で脊髄損傷を負ひ両の腕は殆ど利かない状態にあり思ふやうに出來るか非常に不安である。
 此の十年を振り返り、ブログを顧みれば古い記事に其の時期には、こんなにつまらない事と思へる程、稚拙な事を云つて居たのかと恥じる反面ほんの僅かだが成長出來たのかと自賛してゐる己に微笑む。
 思ひ返せば、ブログ開設に當たり某同血社會長・・・・・オ~ッと某と云ひながら名前を出してしまつた。ま~いいか、長きに懇意にして戴いてゐる事だし、本当の亊でもあるから問題ないであらう。
 此の會長の唆し(そそのかし)に遭ひ、始めたのであるが拙生の浅學非才故に生みの苦しみと云ふものを嫌と云ふ程に味はう事と成つた。
が、楽しみと云ふ可きか充実感と云ふ可きか、ブログは得がたいものと成つた事は確かである。オ~ッと又言葉を間違へた。唆しと云つてしまつたが、此の會長その氣にさせると云ふ可きか奮起させると云ふ可きか・・・・・・・・・・結果、孤軍奮闘を如才なく後押しする人物と云ふ処であらう。
 言葉巧みに人を唆し誘導する。然し乍ら悪しき方向には誘導した事は一度も無ひ。 
依つて唆しと云ふ処は在來御厚情に甘へ愛嬌と勘弁して戴きたい。 
 然し乍ら、其の唆しの犠牲者は数知れずである。
拙生の知る限り相當な數に成るであらう。我我のやうな活動をする者であれば誰しもが知る重鎮と云はれる某團體會長も其の犠牲者である。
 其の會長、人として大きな人と云ふ可きか、器が大きいと云ふ可きか、拙生が勝手に模範と成つて戴いてゐると思ひ込んでゐるのだが、最も尊敬す可き御仁である。
 其のやうな御仁を唆すのであるから、ただの言葉の上だけで容易く唆せるものでは無ひと確信する。更に此の唆し會長、歳は拙生の息子と云つても不思議ではなひ程の年齢で有りながら、座右の銘が「求學(ぐがく)求道(ぐどう)」と云ふだけあつて尋常ではない苦難の道を歩んだであらうと思ふ。亦、此の唆し會長をどのやうな人物かと尋ねられれば、「俺の百科事典、辞書のやうな人物、何でどうしてが大好きで知る限りの知識をもつて答へてくる。唆し會長曰く聞くと云ふ事は全てに関心があるからで伸びしろのある人間だからと云ふ」と拙生は答へてゐる。
 閑話休題、話がブログから可なり脱線してしまつた。
右申し上げたやうに、交通事故にて脊髄損傷を負ひ両の腕は殆ど利かず、歩くにも確りとは歩けぬ状態にあり、何事も思ふやうに行かない状態を悔やんだり恨んだりしても、己の起こした結果であり何等解決はなひ。ブログを顧みる事で、無ひものを悔やむより有るものに感謝し、前を向く事が大事と己自身が云つてゐた事に氣付かされる。  
「神は耐へられぬ試練は与へる事は無ひ」と散散人には云ひ続けて來た事に氣付かされ、己の信仰心が稀薄に成つてゐた事を恥じるばかりである。であるならば右手指はそこそこ動き、左手指も右手程ではないにしろ動いてゐる。又、歩く事も何とか出來てゐる。更に、多尠問題はあると思はれるが、頭脳の状態は正常だと思ふ。況してや口は人の三倍動いてゐるので、今は明るい身体障害者だ。然し、必ず健康な状態へと戻ると信じて、ブログ更新に挑戦したいと思ふ。
 弊塾ブログは決して優れたブログではない。読者を登山者に例へるならば優れたブログならば頂上へと容易く案内するであらう。然し、弊塾ブログは登山口迄案内し登つてみやうかな~と思ふやうにするのが精一杯であらう。
 而して、読者が弊塾ブログを覧た時に賛否両論、叱咤し覧て戴き、考へてもらえれば本望である。
 扨、弊塾ブログだが開設當處からこんな事を云つてゐたのには正直驚ひた。
日本本來の姿、つまり御國柄であるが神武天皇肇國の際、崇高なる思ひを持つて發せられた「八紘爲宇」の詔これは簡単に云へば一つ屋根の下皆仲良く暮らさう、つまりは黒人も白人もそして黄色人種も全て差別無く仲良く暮らさう、世界平和そのものなのだ。幕末當時西郷隆盛翁が「敬天愛人」と盛んに延べ現在も多くの書籍にありますが、此は中国、春秋時代の思想家、孔子の説いた儒教の教へにある言葉ですが、既に神武天皇の發した詔「八紘爲宇」と云ふ教への中に神道の教へとしてあつたのだ。日本の教へは「敬神・愛人・克己」つまり敬神、自分を此の世に出してくれた両親、御爺さん、御婆さん、ひい爺さんひい婆さん、御先祖、更には辿りに辿れば神武天皇そして八百万の神々、而して天照大御神へと辿り着き敬ふと云ふ事。
愛人、此は兄弟、身内、先輩後輩、友達、隣人己に関はる全ての人を慈しみ嘆き悲しませる事のない様にと云ふ事。
克己、己の願望、欲望に打ち勝ち社会正義に身を置くと云ふ事。
神を敬ひ、人を慈しみ、己に打ち勝つと云ふ事です。
此の「敬神愛人克己」の教へは日本教育の基本の一つです。現在の教育現場に此の教へがあるだらうか、精神を育むと云はれる武道に於いてはオリンピックを観ても解るやうに金メダルに拘り、己に打ち勝つと云ふよりも相手を打ちのめす事のみに奔走、精神精進と云ふ事には全くと云つて良い程にほど遠い。また學道に於いては學歴を持つて社会に出れば良い会社に、また良い仕事に就けると云つた己の利便性のみであり、學校もまた其れで良しとした経營方針つまり算盤勘定のみなのです。
 拙生が育つた北海道の僻地大和炭鉱での學校教育は忘れもしない故大沢勘太郎校長先生の教育方針である。
 先日報道番組で岐阜市に不登校児専門の草潤中学校が開校されることが決まったとあつたが、故大沢勘太郎校長先生の教育方針と極めて類似してゐた。大量生産の製品の如く同じ物を作るやうに生徒を教師や學校の方針を教へ込むのではなく、勉強の好きな子、嫌いな子、運動の好きな子、嫌いな子と生徒一人一人に合はせ學問よりも道議道徳を重視した故大沢勘太郎先生の教育方針であつた。當時は變な先生だなと思つたものだが社會に出て恩師の素晴らしさに気付かされた。
 崇高な教へを教育現場に復活させ、人を育てる事に務めなくてはならない。崇高な精神を基に文武一途、文武両道を極めた人が育てば、現在の様な未曾有のコロナ禍にあつても己の既得権益のみに奔走する政治家、いや政治屋(自民黨二階俊博・安倍晋三・麻生 太郎のやうな)は排除され世界に誇る素晴らしい日本本来の姿になる事は夢ではない。

「天下興亡・匹夫有責」(天下の興しは匹夫にも責任有り)つまり國が興るも滅ぶも、其の責任の一端は國民にあるとゐふ事で
愛國心と云えば眉を顰める(しかめる)方も居られるでせう、然し、決して眉を顰める(しかめる)やうな事ではなく、愛國心とは所謂(いわゆる)國自慢ではなく、己惚(うぬぼれ)根性でもなく眞に國體の精華を自覺し國性の眞粹を會得、自ら進んで其の短所弱點を補ふと徳富蘇峰の著書にある言葉です。つまり良いものは育み悪ひものは省き外國に劣らぬ國にしなければならないと云ふことなのです。
民主黨政権當時、言葉巧みに心地良い事を並べる民主黨、無駄を無くすると云ひ放したのは良いが全く其の成果は無く、國民の生活が第一、元気な日本を復活させると、黨の第一目標に掲げながら誰の目から見ても無駄としか見えない議員歳費の問題は一切無視。其れを誘導したのが現在の立憲民主黨枝野代表張本人なのだ。
 國民に負担を強いるならば先ず議員歳費を見直すべきである。他國と比べると一目瞭然、余りにも高ひ歳費は驚くべきものです。國会議員の歳費(給与)は年収約二千二百万円、文書通信交通滞在費その他、立法事務費と議員一人に対し年間約四千二百万円が税金から支給されてゐるのです。 アメリカの議員歳費は年額約千七百万円、イギリス下院は約九百七十万円です。日本の國会議員は世界的にトップクラスの歳費を受け取つてゐる譯ですが、其れに見合つた働きをしてゐるのかどうかが問われるのではないでせうか。
 仕事が出來ないと云ふよりしない議員ばかり、拙生は國會議員衆参両議院の半分でも充分足るものと思ふ。亦、其の半數の歳費があれば弱者と云はれる人達の殆どが救はれるであらう。
 驚いた事に開設十一年前と全く變はらぬ事を云っている。つまり十一年経つても何等日本の状況は變はつてゐないのだ。
未曾有のコロナ禍にあつて黨利黨略、私利私欲、既得権益にのみ奔走する自民黨には呆れるのみであり、現在行はれてゐる自民黨総裁選挙は國の行き先、國民生活を無視したコップの中の闘いと云ふよりお猪口の中の闘い程度と低レベルである。
先に述べた「天下興亡・匹夫有責」を自覚率先し行動に起こせば明るい未來は夢ではないと思ふ。





注意


一部、國を愛すると云ふ言葉を使つてゐますが、此れは厳密に云へば間違いであると思ひます。
愛すると云ふのは同等若しくは格下に對して使ふ言葉であり、國に對し使ふ言葉ではないと聞ひた事があります。然し、明治維新以降、欧米文化の影響を強く受け、其れ迄には國を愛する等と云う事は、使ふ事はなく使ふとすれば
天皇陛下以外には使ふ事を許されなかつたと聞き及びます。
 明治期に編纂された國語辞典「言海序」には愛國の文字は掲載されていなかつたと聞ひてゐます。つまり明治維新前には愛國と云ふ言葉さえ無かつたと思はれます。然し乍ら、「愛國と云ふ言葉」は欧米文化の影響を受けたとは云へ「崇敬」と云ふ意味を以て使はれて來ました。依つて此処では誠に不敬とは思ひますが「愛國」を「崇國」と読み取つて戴きたいと心より御許し願ひます。






























# by iamhide3897 | 2021-09-17 22:09 | ぼやき | Comments(0)

虚け者のぼやき

言葉の亂れは文化の亂れ。


   令和三年七月三十一日(紀元二仟六百八十一年七月三十一日)




日本語と云うものは、世界に誇る可き美しく優れた言葉であると認められているものである。
 拙生も學生時代、歴史の中に學んだ記憶がある。大東亜戦争終戦後、GHQの日本弱体化政策の中で日本語を削除しようとする動きが有ったが、美しく優れた言葉であるが故に様様な言語を代替へにしようとしたGHQは日本語に變るものを見つける事が出來なかった。 而して現在もなお日本語を使う事が出來ている。
 日本語には口語、文語、丁寧語、敬語と在り会話をする際、相対する事無く意思疎通が容易につく。
だが諸外國の言語では身振り手振りが合って初めて可能となる。つまり、言葉だけで感情迄もが伝わるのは日本語の優れている所であり、他の言語には無いものなのだ。
 拙生は「服裝の亂れは心の亂れ、言葉の亂れは文化の亂れ。世は變はれど變へては爲らぬ御國の文化」と學んで來た。 
 先日、テレビの報道番組を観ていて違和感を覚へる事が有ったのだ。と云うのは現在開催中のオリンピック中継の中で、スケードボード競技解説をしていた解説者の言葉に違和感を覚へた。
 フジテレビのオリンピック中継で解説はプロスケートボーダー瀬尻稜氏(二十四歳)だった。スケードボードを全く素人の身で有る拙生も聴いていて非常に解りやすく理解できた。然し、現代の若者なのか理解に苦しむ言葉が横行し始め、品位と云うものを全く感じず下品とさえ感じたのである。
 此が報道番組ではなく友達同士の会話であれば何の問題も無く受け入れる事が出來たであろう。
 然し、「やべえ」「まじやばいっす」「鬼ヤバイっすね!」「いや~ハンパねえっす」との言葉の何処に品位を感ずるであろうか。公共の電波と云う可き報道番組の中でとあれば品位を問われても仕方ないであろう。
例え民放であろうが公共の媒体である。其の公共の場に於いて丁寧語、敬語と云うものを含まぬ友達同士の様な口語体は此の様な場には如何に考えても相応しいとは思えない。
 抑も「やばい」とは反社会勢力の隠語で否定語として使われるものと聞いている。つまり、「良くない、駄目」と云う事に使われる。然し、若者同士の話を聞いていると否定語、肯定語としても使われ統一性が無い。
而も、オリンピック中継での解説を賞賛する傾向にある。更に驚くのは公共放送、民放に於いてもアナウンサーが模倣したり、情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』の司会者である宮根誠司氏は真似をすると番組内で公言する。又、シドニー五輪銀メダリスト・篠原信一氏はその道を極めたと云われる重鎮であろう。其の篠原信一氏が出演番組で「ゴン攻め」「やばい」等と瀬尻稜氏の解説を真似て口にする。更に驚いたのは旧皇族の竹田家(旧:竹田宮家)出身の竹田 恒泰氏までもが出演番組の中で「やばい」を平然と口にする始末であった。此れを見た子供達はなんと思うであろう、正しい日本語と誤認してしまうのではと筆者は恐れる。全く嘆かわしい事である。
 フリー百科事典『ウィキペディア』に紹介されるように、日本は言魂の力によって幸せが齎さ(もたらさ)れる國「言霊の幸(さきわ)ふ國」とされた。『萬葉集に「志貴島の日本(やまと)の國は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」「大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり」
『古事記』に於いて倭(やまと)建(たける)命(のみこと)が伊吹山に登った時、山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが倭建命の慢心によるものであった爲、神であった事を見抜けず、倭建命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。即ち、言霊思想は、萬物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想と云うだけではなく、心の存り様をも示すものであった。
日本古代に於いて「言」と「事」が同一の概念だった事によるものである。漢字が傳來された當初は言と事は區別せずに用いられており、例へば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。古事記には言霊が神格化された一言主大神の記述も存在する。
この様に日本は言霊に依って風土、伝統、文化を護って来たのだ。


此こそが右申し上げた
「服裝の亂れは心の亂れ、
言葉の亂れは文化の亂れ。
世は變はれど變へては爲らぬ
御國の文化」
であろうと拙生は心より信ずる。






















# by iamhide3897 | 2021-07-31 23:41 | ぼやき | Comments(0)