虚け者のぼやき


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長崎の旅総集編

長崎の旅
                              皇紀二千六百七十一年三月十八日~二十一日
今回、長崎の旅は、長年御高配を賜る長崎雲仙に有る橘運輸有限会社、松尾健二社長の長男、松尾拓磨の結婚式参列が第一の目的であつた。
 約四年前長崎を訪れたのは、やはり松尾健二社長の次男、考允の結婚式だつた。当時は小生も何かと忙しくゆつくりする事が出來ず、式翌日の早朝歸らなければ成らず社長夫人には随分叱られたものだ。
 今回は拓磨の電話で結婚の日取りが決まつたと知らされ、追つて招待状を出すとの事だつたが、其の時點で小生も計畫を立て成るべく長く滞在出來るやうにと日を設定した。
 滞在する全ての時間を社長夫妻の豫定に合はせ行動出來るやうにした。航空券予約は二ヶ月前に予約一番早い便に設定、歸りも遅い便とする豫定だつたが、是は殘念乍ら取れず朝の便となつた。然し、前回と違ひ時間はたつぷりと取る事が出來た。
 出發當日十八日は早朝四時に起き、四時三十分に小林同志が羽田へ送るとの事で迎えに來る。五時に家を出る。燃料に不安があり途中海老名パーキングへ寄るが、給油所は數珠繋ぎでとても給油出來る状態ではなく歸りに給油すると云ふ事に成る。
 七時十分發の便だが身障者用車椅子のバッテリーが危険物に値するとの事で、手続きに手間取り出發が遅れる。当然到着も遅れたが、何事もなく無事到着。空港には松尾社長と米子の旧友、近重誠一兄が迎へに出てくれた。式前日の忙しい中迎へに出てくれたには流石に如何に虚け者の小生も氣が引けた。
             近重誠一兄↓
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 雲仙愛野町の会社へ着き、先ずは社長夫人への祝いの挨拶、更に久し振りの旧友達との対面、全国から集まる人々とも再会、この歳になると流石に再會を祝う。互いに健康の話しばかり藥屋の如く朝夕の薬の話しは些か情けない。
 次男考允を中心に社員數名が發送作業と忙しい中、古株の社員は皆挨拶に來てくれた。何人かが見あたらず聞くと千々石の整備工場にゐると聞き、會ひ行く。千々石に着くと其処には若かりし頃随分と世話に成つた先輩、松尾満兄がゐた。聞くと震災当日仙台港にゐたとの事で食事をしてゐた數メートルの所まで津波が來たさうで命からゞゝ逃げ歸つたのことであつた。 亦、こんな事でも無ければ長崎へは來ないと仕事が變はつた事で疎遠に成つてゐる誹りを受ける事となる。
 夕方まで疎遠に成つてゐる方々への挨拶を終へ、長崎市内式場ホテルへと移動宿泊となるのだが、其処でまた久し振りの方々と再会、当然再会を祝い酒宴となる話しに花が咲き結局深夜まで續く。

       酒宴の始まり 社長を囲み北海道、富山、関東、鳥取、宮崎の縁深い人達である。
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 式當日、九時に此の東日本大震災にて一億五千万円を掛けた、三陸のサンマ漁施設を気仙沼港に建てたが全て津波にさらわれたマル井水産(井上幸宣社長)から八十キロのカジキマグロが届き、井上社長自らが驚く事に一人で千人分の刺身に裁く。
 己の会社が大變な被害を受けたにも拘はらず松尾社長との人間關係を、最優先する男氣を見せられ感服させられる事となる。
 今時、死語に成りつゝある男氣、日本男児、九州男児の心意氣を見るやうだつた。其処に此の二人の纏め役と云ふが正しいか兄貴分と云ふが正しいか、長崎水産運輸の平岡孝社長が加はり、拓磨、益子の二人に人間關係が如何に大事なものか重さを見せつけた。
 
   歌う井上社長、踊る松尾社長、万歳をする平岡社長、其の後に橘運輸社員一同 ↓
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   久し振りに会つた古くから勤める社員に囲まれるが、それゞゝに年嵩が増してゐた。
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 約三百五十名の披露宴写真に入りきれない。
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 披露宴も無事終はり全ての招待客が歸るまで一時間が経過、式の後始末に新郎新婦の御両親は更に三十分を要する。次男考允が最後に見回り厠で飲み過ぎの為寝込む若い社員發見バスへ連れ歸る。二次会会場へ大型バス(社用車)で向かおうとするが、ドライバー全員飲酒の為運転手がゐない。當然下戸の小生へとお鉢は廻る事に爲る。然し、悪い事ばかりではない。ハンドルは小生の意の儘、ハンドルを握つたからには二次会の時間まで小生の行きたい所へ行けると云ふ事だ。
 先ずは通り道にある平和公園、進行方向からいきなり右へ逸れると、酔つた乗客から道が違うと大騒ぎ、其処で小生酔つぱらいに道を誘導されるゆわれは無い。ハンドルを握るのは小生思ひの儘に走らせる。
    爆心地から数百メートルにある  平和公園 平和祈念像
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 結局初めての者が多く良い記念に成つたと喜ばれる事に成る。二次会会場は諫早市内の居酒屋だがその前に、二十人ほどがホテルへチエツクインを済ませる事にし、其処からそれゞゝ二次会の場へ行く事にして全員ホテルにて下車。
 結局この日も二次会、三次会、四次会と続き、小生四次会までは付き合つたが流石にアルコール燃料を入れパワーアツプした酔つぱらいと云ふ化け物に付き合ふのは下戸の小生、素面では其処までが限界だつた。 撃沈014.gif

 二十日十時ホテルを出てそれゞゝ帰る駅へと送る事から一日が始まつた。結局近重兄と小生を残し何とか無事に送り出し終えたのは、昼を回つてゐた。愛野の会社へバスを置きに行き千々石の整備工場へ顔を出す。
其の際しつかり橘湾に近い橘神社へ行く、此の神社は軍神橘周太中佐を奉る神社で、国道57号線からすぐ橘中佐の像が見へる。軍神橋(昭和13年完成:長さ25.0m、径間15.0m、橋幅8.0m)を渡り、約800本の桜の木(ソメイヨシノ)を右に見ながら参道を登ると、社務所正面に橘中佐の生家の一部を移転した橘中佐遺徳館がある。
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                 軍神橘周太中佐銅像 ↓
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橘周太中佐は長崎生まれ。陸軍軍人。明治20年(1887)陸軍士官学校卒業。30年(1897)戸山学校教官、35年(1902)陸軍少佐、名古屋地方幼年学校長。37年(1904)第2軍管理部長として日露戦争に出征。歩兵第34連隊第1大隊長となり、遼陽の戦闘で戦死した。死後中佐進級。海軍の広瀬武夫中佐と並ぶ軍神として祀られてゐる。先祖は楠木正成の血統を受け継いだ武士で尊皇の志篤く、父親は維新では西郷隆盛に従ひ京都に上り勤王を訴へた。亦、「部下を愛するや深淵底なきが如し」と同僚から評された橘の部下おもいは有名、橘中佐の言葉に「将たる者は部下を愛するの至情を基礎とせざるべからず」自分が空腹の時には部下も空腹である、自分が眠いときは部下も眠い。部下を思ふ心が厚くなければ将としてその時々の状況に適合した判断はできないと歴代天皇の御心を忠実に遂行する軍人であつた。現政府、菅総理以下全員に爪の垢ならぬ銅像の隅にある青カビを煎じて飲ませたい。東日本大震災の被害者並び福島原発事故の被害者、更に非難を余儀なくされた人々の気持ち、百万分の一でも解れば彼のやうな対応は決してしないであらう。
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近重兄を連れ回し諫早の社長宅へ戻つたのは夕方に成つた。前日の二次会、三次会社長の懇意にするお店で周り切れてゐない、お店へと廻る事となり数件廻る。其の中で社長が小生の為にお土産として柚子ゴショウを用意してくれてゐた。亦、御世話に成つてゐる人へと、なかゝゝ手にはいる事のない焼酎も用意してくれてゐた。
何とも感謝に堪えない事である。結局この日も深夜まで酒宴は続く事となった。

二十一日早朝近重兄に長崎空港まで送つて貰ひ帰省する事と成つたが、松尾健二社長との縁を取り持つてくれた社長のお兄さん「としんちゃん」への挨拶が出来ず心残りとなつてしまい、後に電話で詫びをする事と成つてしまう。
             「としんちゃん」夫婦
 
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今回の旅で最大の汚点と成つた。 心底申し訳ない事をしてしまいました。九礼九拜008.gif


第一の目的は松尾拓磨、益子の結婚式出席でしたが、それ以上に小生にとつて大変勉強になる旅となりました。歴代天皇の大御心、八紘爲宇を実戦で見せつけられたやうな旅を経験しました。
この旅に拘はつた人々に感謝。  九礼九拜。

 

 
 
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by iamhide3897 | 2011-03-23 00:43 | 旅 日記 | Comments(0)