
虚け者のぼやき
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皇紀二千六百七十二年八月十二日




初めて走る新東名高速は新しい事もあり広く上り
下りの坂道も少ない、亦、カーブの少なさに驚きを
隠せない。
非常に走りやすい道路ではあるが、居眠りの危険を
はらんだ高速道路でもある。

平成二十四年八月十二日愛知縣田原市にある身障
者施設蔵王苑へと向かふ。
若かりし頃の友人と云ふ可きか、將又可愛い後輩
と云ふべきかは判斷し難ねるが、兔に角昔から懇意
にする人間に會ひに行く事となる。
數週間前に爲るが、長野縣在住の友人、原山氏よ
り聯絡があり「森君が施設に入れられた」との事、
譯を聞けば實母が高齡體調不良にて入院。父親一人
では正基の世話が出來ない爲施設に入る事と爲つた
との事である。
聯絡を貰い、此處暫く小生も正業竝び其の他に追
はれ、森正基の近況に目をやることなく過してゐた
事を悔いる。
是の森正基と云ふ人物、小生が以前ハマチ養殖に
使用する餌、鰯、鰺、鯖、小女子等々を運ぶ生業を
してゐた時分に、自動車用品店經營の久野靜男氏を
通じ知合つた人物である。當時森正基はカメラ小僧
と呼ばれる、アートトラツクを追ひ駈け撮影する、
今で云へばパパラツチとでも云ふものであらう。
始めて會つたのは、昭和五十六年十二月の事と記
憶する。
當時、アートトラツクを題材とする雜誌が出囘り
一世を風靡してゐた。雜誌に撮つた寫眞を投稿、
カメラ小僧同士の寫眞交換、其も金錢目的に行ふ子
供が多くゐた爲、小生は撮影を許可せず、亦、雜誌
社の取材も一切受入れてゐなかつた。其のやうな時
期、久野靜男氏經營の店の前に止めた小生の車に
カメラを構へる中學生が森正基だつた。
森正基への第一聲は「お前何をしてゐる」だつ
た。
そこへ久野靜男氏が「この子は趣味で寫眞を撮り、
集めてゐるだけで寫眞を投稿したりお金で交換する
等と云ふ子ではない。寫眞の腕も良い子なので撮ら
せてやつて貰へないだらうか」と云はれた。正直な
處、久野靜男氏には世話に爲つてゐる手前斷る術を
持ち合せてゐない。仕方なく許可した事が森正基と
の拘はり合ひの始りである。
其からと云ふもの撮つた寫眞を久野氏を通じ必ず
渡して來たものだ。見れば確かに久野氏の云ふやう
に素人目にも奇麗に撮れてゐる。聞けばカメラ小僧
と云はれる連中の中でも可也の腕らしく皆、森のこ
とは知つてゐた。
大學生の時には學園祭に出品すると影繪を數ヵ月
かけ制作、見事銀賞だつたと記憶する。定ではない
が入選した事がある。其作品は小生の大型冷凍牽引
車を影繪にしたものであつた。亦、其作品は現在も
猶小生宅の玄關に掲げられてゐる。
きつと小生が生きてゐる限り外される事はなひだ
らう。

向つて左が若かりし頃の小生

更に月日は流れ、平成三年大型冷凍牽引車を新しく
入替へた記念に横濱にて撮影してもらふ。
もう既に時効と爲つたので云ふが、撮影にはとんで
もない秘話がある。當時小生は道路公團、警察無線
の傍受出來る器材を搭載してゐた。其無線を傍受し
ながらアマチユウア無線の仲間に依頼し開通間もな
い横濱ベイブリツチを大黒埠頭パーキングから我
々四臺が出た後、海上コンテナ四臺が時間差に出て
貰ひ本線上に横一列に雙び止る寸前の微速前進走行
をして貰ふ。



當然本線上は封鎖状態となり撮影の爲本線上を縱横
無盡に走り廻る森正基。
約十五分間封鎖状態にし撮影を行つたのだ。
公團、高速隊への通報があり出動要請の無線傍受と
共にベイブリツチから退散する。
ベイブリツチは約十五分間にわたり大澁滯と爲つた。
ベイブリツチ封鎖撮影は當然の如く無許可、この撮
影に逮捕拘束された者はをらず無事終了。今では絶
對に考へる事の出來なひ無謀な冒險である。今と爲
れば道路封鎖撮影を得手とする石原軍團でもベイブ
リツチは無理であらう。

因に寫眞中央白いシャツを着てゐるのが若き頃の
森正基(當時大學生)、今囘の主役である。

向つて森正基の左隣が小生、若かりし頃の一枚であ
る。
右記のやうに小生の若げの至りで、無謀な記念撮影
其の他諸々をさせた人物である。
この撮影から二年後と記憶するが彼は交通事故にて
不自由な身體となつてしまう。
愛知縣豐川を通る度に極力顏を出してはゐたが、
生業の變更と重なり此處暫くは無沙汰をしてしまつ
た。
原山氏は森と同年代の若者であり、以前日乗にも掲
載した人物である。二年前の十月十五日カテゴリー
ぼやきに掲載した新鮮な出会ひに登場する人物であ
る。
原山氏の事は同じ事を二度書く事に爲るので新鮮な
出會ひを見て戴きたい。
其の原山氏よりの聯絡に森との疏遠を悔い、施設へ
入る事となり寂しからうと勵ましに就く事と爲る。
原山氏には森のリハビリを兼ねて、寫眞の遣り取り
手紙の遣り取り等等を依頼してゐた。其の中で手紙
の住所が違ふ事に氣が附き父親に確認した所入設を
確認。
原山氏には以前より森の身體の事は報せてゐた爲、
施設へ入つた事を知り居ても立つてもをられず小生
への聯絡を惱んだ末して來たさうだ。
未だ見ぬ友人を氣遣ひ、會ひたいと小生に訴へる原
山氏。
二年前森のリハビリを兼ねた友人に爲つて貰ひた
いと依頼した事は間違ではなかつた。小生の思つた
以上に信頼關係を構築してゐた。驚いたのは父親が
原山氏を信頼してゐるやうだ小生も知らぬ事を父親
から聽いてゐるやうなのには思ひの外驚いた。
豐川インター待ち合せとしてゐたが、途中新東名と
舊東名の合流澁滯に遭ひ、一キロ進むのに十分程の
低速澁滯、流石に御盆の歸省澁滯と諦め豫定より十
五分程遲れて原山氏と合流。同行の小林氏と挨拶を
交し暫く振りの挨拶もそこそこに愛知縣西尾の友人
手嶋氏との合流地へと進む。
手嶋氏は當時小生が待合はせに久野氏のお店を指定
してゐた事もあり、森とは顏見知りと云ふところで
ある。原山氏との話で勵ましに行くと云つたところ
「俺も行く」一言であつた。
手嶋氏と合流は程なく正午といつた所で、施設に着
いたら食事時間であらう、面會は迷惑になると判斷
、我々も食事を濟ませて向う事とする。
午後零時四十分藏王苑到着、受附けにて面會を申込
み部屋へと向ふ、事前に知らせず驚かそうと計畫し
てゐた。
部屋の扉を開けると、森は此方を向いて横になつて
ゐた。一瞬誰だらうと云ふ目をしてゐたが、聲を掛
けると直に解つたやうで、微かに目を潤ませてゐ
た。
原山氏が長野から駈附けた事に感動したやうで顏が
和やかに歪む、唯一動く右手で眼鏡を掛けやうとし
てゐたが、思ふやうに行かず中々掛ける事ができな
い。
眼鏡を掛けてやると原山氏の顏をしげゝゞと見てゐ
た。森はベツトの中では話ずらゐだらうと、職員に
頼み車椅子に載せて貰ひ廣い所で話がしたいと云
ふ。
一階の面接所らしき所は、大勢で對話が出來るや
うに設備されテーブル椅子が設置されてゐた。
再度、原山氏、小林氏は初對面の挨拶、手嶋
氏、小生は久し振りに會ふ事を慶び合ふ。
昔話に華が咲き、亦、原山氏は思ひ叶つて顏
を見乍ら話が出來る事へ慶びを隱せぬやうで
あつた。
森の疲を考へ記念寫眞を撮つて御開きとする
ことゝなる。寫眞は中庭へ出て撮る。原山氏
の撮りきりカメラと手嶋氏のデジタルカメラ
二臺で撮る。車椅子に乘り乍らも寫眞撮影と
なると有れ之と結構煩い、皆指示通りに動き
無事終了する。



部屋へと森を戻し職員に頼みベツドへと戻して貰ふ
。別れを惜しみつゝも再會を誓ひ別れる。
施設を出て再度皆でコーヒーをすゝり乍ら本日の面
會を慶び合ふ。原山氏は餘程嬉しかつたのか、もう
既に次囘を考へてゐるやうだ。小生も出來る限り來
ると約束し別れる。
原山氏は山越で長野まで約四間時の道程、小生も約
三時間半、尤も澁滯がなければの話である。結局御
殿場の合流と太郎トンネル事故に影響を受けた爲、
到着は五時間を要し九時半到着だつた。
此處暫く氣掛かりだつた森正基の近況漸く果せた
思である。然し、之で終ではない小生が生きてゐ
る限りこの思は續くであらう。
本日の旅は觀光とは違ふが清々しい旅
と爲つた。
by iamhide3897
| 2012-08-14 19:23
| 旅 日記
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