
虚け者のぼやき
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◎ 厚木驛南口演説會.
皇国同志會
本厚木驛南口
定例演説會
紀元二千六百七十三年一月二十日

本日今年初の演説會參加である。本厚木驛十四時尠々過ぎ到着、演説會は既に始つてゐた。
本日は花上會長の姿が見えず、川原本部長に聽けば據ない用事が出來不參加との事である。
川原本部長一人で開催のやうであつたが、我々二名が加はり協力出來た。
本年度初とあり、昨年末に政權が民主黨から自民黨へと移つた事に集中してゐたが、政權が民主黨であれ自民黨であれ國としての動きは現在の選擧制度、國會議員の思はく、つまり利權思想では本來日本の持つ國柄は發揮する事は不可能で有らう、國を擔ふ國民が日本國を知らな過ぎる。現行日本ではなく本來の日本を知る可きで、其の知らない國民が知らない國會議員を選び國會の場へと押上げてゐる。其の結果が現行日本である。
本來の日本は、他國と比べても素晴しく優れた國是を持つ國である。其の素晴しき國是を知らぬ議員が如何に一つ二つの不合理を樂に仕樣と蜃氣樓の如き畫策しやうとも國と云ふものは動かう筈もない。
國を正しい方向へ導き誇り高き國にする爲には、國民が日本國とは如何なる國柄を持つ國なのか知る事から始るであらう。何故に日本は神國なのか歴史を鑑み學びなほす事で 天皇陛下の御存在が如何に大切なものか知るであらう。
日本人として誇りを持つ可きである。先づ今現在葬儀を執り行ふに佛式に從ひ行ふが、其の佛式に戒名と云ふ譯の判らぬものがある。是の戒名値段に依つて位があり、例へ惡人であらうとも値段の高い戒名を着ける事により御利益が荒るとされる摩訶不思議なものである。亦、佛教に詳しき御仁に問へば譯が分つては値が付けられぬとの事であつた。
親がその子の幸福を願ひ苦心し着けた名前は死ぬまでの數十年生きて來たものであり、親から授かつたもの。其を何故に戒名に變へなければならぬのか。戒名に變へると云ふ事は釋迦の弟子になると云ふ事である。日本人が何故に死んで印度の釋迦の弟子に爲らなければ爲らぬのか、 天照大御神の子孫であるにも拘らず釋迦の弟子に爲るのか。
日本人であるなら誇を持つて 天照大御神の子孫である事に誇を持つ可きであり、親から授かつた名を通す可きである。
因に葬儀、佛葬、神葬とあるが佛葬には戒名、御布施があり、御布施つまり簡單な話し坊主に對する禮金である。過去に佛葬で葬儀を行つた事のある御仁は良く判るであろうが、此の戒名と御布施で莫大な御金が掛かる。神葬の場合、戒名はなく親に授かつた名を通す、更に神官への御禮は處によつて違ひはある。是れは特別であろうが未だ宮崎縣では四千圓と云ふ處もあるさうだ。規模に依つての違ひはあるが、其の殆どが佛葬の三分の一程度の經費で神葬は行はれてゐる。
耶蘇教信徒は全てアダムとイブの子孫とされてゐる。つまり罪人の子孫である。アダムとイブはエデンの園の戒律を破り食べては爲らぬ林檎を食べエデンの園を追放された罪人。林檎を食べるやうに促した蛇は腹這に地を這ふ生き物にされ。イブは妊娠の苦痛を過せられ。アダムは勞働の苦痛を過せられた。其の苦痛から逃れる爲めに善を行ひなさいと教へてゐる。つまり善を行ふのは苦痛を逃れると云ふ己に對する見返を求めてのものである。
日本神道に於いては現世生きる事で汚れか付く事は自然の事であり其の汚れを掃ふ爲め禊などを行ふが、けして見返を求めてのものでは無い。
今囘皇國同志會の演説會に參加し壇上にて述べた事は何故か宗教家の如き話しと爲つてしまつた。尠々反省。
今囘は遲れて參加更に小林同志の撮影のみだつた爲め一枚のみ撮影の掲載。
本厚木驛南口
定例演説會
紀元二千六百七十三年一月二十日

本日今年初の演説會參加である。本厚木驛十四時尠々過ぎ到着、演説會は既に始つてゐた。
本日は花上會長の姿が見えず、川原本部長に聽けば據ない用事が出來不參加との事である。
川原本部長一人で開催のやうであつたが、我々二名が加はり協力出來た。
本年度初とあり、昨年末に政權が民主黨から自民黨へと移つた事に集中してゐたが、政權が民主黨であれ自民黨であれ國としての動きは現在の選擧制度、國會議員の思はく、つまり利權思想では本來日本の持つ國柄は發揮する事は不可能で有らう、國を擔ふ國民が日本國を知らな過ぎる。現行日本ではなく本來の日本を知る可きで、其の知らない國民が知らない國會議員を選び國會の場へと押上げてゐる。其の結果が現行日本である。
本來の日本は、他國と比べても素晴しく優れた國是を持つ國である。其の素晴しき國是を知らぬ議員が如何に一つ二つの不合理を樂に仕樣と蜃氣樓の如き畫策しやうとも國と云ふものは動かう筈もない。
國を正しい方向へ導き誇り高き國にする爲には、國民が日本國とは如何なる國柄を持つ國なのか知る事から始るであらう。何故に日本は神國なのか歴史を鑑み學びなほす事で 天皇陛下の御存在が如何に大切なものか知るであらう。
日本人として誇りを持つ可きである。先づ今現在葬儀を執り行ふに佛式に從ひ行ふが、其の佛式に戒名と云ふ譯の判らぬものがある。是の戒名値段に依つて位があり、例へ惡人であらうとも値段の高い戒名を着ける事により御利益が荒るとされる摩訶不思議なものである。亦、佛教に詳しき御仁に問へば譯が分つては値が付けられぬとの事であつた。
親がその子の幸福を願ひ苦心し着けた名前は死ぬまでの數十年生きて來たものであり、親から授かつたもの。其を何故に戒名に變へなければならぬのか。戒名に變へると云ふ事は釋迦の弟子になると云ふ事である。日本人が何故に死んで印度の釋迦の弟子に爲らなければ爲らぬのか、 天照大御神の子孫であるにも拘らず釋迦の弟子に爲るのか。
日本人であるなら誇を持つて 天照大御神の子孫である事に誇を持つ可きであり、親から授かつた名を通す可きである。
因に葬儀、佛葬、神葬とあるが佛葬には戒名、御布施があり、御布施つまり簡單な話し坊主に對する禮金である。過去に佛葬で葬儀を行つた事のある御仁は良く判るであろうが、此の戒名と御布施で莫大な御金が掛かる。神葬の場合、戒名はなく親に授かつた名を通す、更に神官への御禮は處によつて違ひはある。是れは特別であろうが未だ宮崎縣では四千圓と云ふ處もあるさうだ。規模に依つての違ひはあるが、其の殆どが佛葬の三分の一程度の經費で神葬は行はれてゐる。
耶蘇教信徒は全てアダムとイブの子孫とされてゐる。つまり罪人の子孫である。アダムとイブはエデンの園の戒律を破り食べては爲らぬ林檎を食べエデンの園を追放された罪人。林檎を食べるやうに促した蛇は腹這に地を這ふ生き物にされ。イブは妊娠の苦痛を過せられ。アダムは勞働の苦痛を過せられた。其の苦痛から逃れる爲めに善を行ひなさいと教へてゐる。つまり善を行ふのは苦痛を逃れると云ふ己に對する見返を求めてのものである。
日本神道に於いては現世生きる事で汚れか付く事は自然の事であり其の汚れを掃ふ爲め禊などを行ふが、けして見返を求めてのものでは無い。
今囘皇國同志會の演説會に參加し壇上にて述べた事は何故か宗教家の如き話しと爲つてしまつた。尠々反省。
今囘は遲れて參加更に小林同志の撮影のみだつた爲め一枚のみ撮影の掲載。
by iamhide3897
| 2013-01-26 02:09
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