
虚け者のぼやき
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◎定例演説会
第八十五囘
西葛西驛南口
定例演説會
紀元二千六百七十三年七月二十八日
登壇辯士
愛倭塾會長付 小林 弘典 辯士
愛倭塾理事長 平田佐喜雄 辯士
國士館大學學生 松田 晃平 辯士
盛道烈士會會長 盛 義一 辯士
愛倭塾會長付 小林 弘典 辯士
愛倭塾理事長 平田佐喜雄 辯士
愛倭塾會長 山口 秀明 辯士

先月は都議撰の爲め演説會開催が叶はず、二カ月ぶりの開催と爲つた。
今囘は國士館大學の有望な學生松田君が參加したいと訪れ、久し振りに盛道烈士會盛會長にも參加して戴いた。

小林辯士は何時も乍ら日本の國體原理である神道に示される臣民が持つ可き道義道徳は如何なるものであり將又如何に發揮す可きか尠々話しは固いが熱く語る。

平田辯士は道義道徳は日本民族の誇であり他民族には如何にしても體得し得ぬものであると熱く語り、日本民族の素晴しさ、優れた民族性をこんこんと談り諭すやうに訴へてゐた。

松田辯士は今囘の參議院選擧結果を振返り自民黨壓勝に大きな懸念を抱くものでは有るが、野黨の腑甲斐なさは野黨黨首全てが國を思ふ志の希薄極はまりない事に驚くばかりである。夫夫の黨首が談る稚拙極はまりない話しは國を如何に良くするには如何しなければ爲らぬのかではなく、議席が一つ二つ増えた事に如何にも國民全てが支持したかのやうに自慢氣に話すのである。此は日本の未來を懸念す可き出來事だと聲を大にし訴へる。

久々に登壇した盛辯士は參議院撰の結果を期待する事は出來ぬと談り。何故に自民黨一黨だけが勝利したかのやうに爲つたか、考へれば民主黨が政權を取つた時期、國民は民主黨に期待してゐたかと云へば誰一人として期待はしてゐなかつた。今亦、以前と同じく期待するものはをらず消去法で取り敢へず殘つただけで決して自民黨を支持したのではない。では如何にす可きかは日本の歴史上に名を馳せる多くの偉人に學ぶ言葉から拔萃し聽衆に訴へた。

本日二度目の登壇となる小林辯士は、通行人が愛倭塾の倭と云ふ字がどの樣な意味をもつものか知つて居るのかと問はれた事に對し壇上から説明をしてゐた。
是は支那、朝鮮が日本人を貶しめる言葉の一つとして使はれた事は史實の中で十分に理解してゐるが、何も其の誹りを日本人が認める必要は無い。支那、朝鮮から觀て當時の日本は決して劣つてゐた譯ではなく、逆に民族性や道義心には優れていたのである。現在の支那の挑撥や韓國の反日攻勢を觀ても解るやうに其の根本は僻み、嫉み、誹謗中傷誹る爲めに使はれたものである。つまり夫々の民族より優れていたからこそ嫉まれるのであつて本當に劣つてゐるものに對しては云はぬであらう。
敢えて我々愛倭塾塾生は日本民族の素晴しさを報しめ、其を實踐する事で云はれのない中傷に打ち勝つ爲着けたものであると談る。

平田辯士も本日二度目の登壇に、自動販賣機の處で小錢がなく飮み物を買うに難儀する年輩者へ小林辯士が御茶を進呈したところ、鞄から大事に持ち歩く文章を出し、何も御禮が出來ないので爲めになる文章なので受け取つてくれと渡して行つた。其の内容は人として生きるに大切な教えが書かれてゐた。人と人の繋がり、眞心の美しさ、倭の意義を談った小林辯士の行いを讚へてゐた。
自畫自讚であらうが同じ志を持つ者の行爲を誇らしげに思ふ話しであつた。

山口辯士は社會問題と爲つてゐる獵奇的事件を取上げ、本來の民族性に戻る事で全てと云へる程に解決するだらうと談る。
本來日本の國體と云ふものは天照大御神が居り大神を支える八百萬の神々が存在すると云ふものが國體の基礎である。
現代に於いては天照大御神の直徑が 天皇陛下であり、八百萬の神々の末裔子孫が臣民である。つまり、日本國民全てが八百萬の神々何れかの末裔子孫に爲るのである。 是が日本の國體其のもので、抑、神の思召に感謝する事から始るのであつて、御成敗式目にある「神は人の敬ひによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」敬ひこそ感謝其のものである。神は其の威を以て更に臣民に徳をなし運を添ふのである。日本語の最も美しい言葉は「ありがたう御座ひます」であるとされてゐるが、是は感謝の言葉である。 日本人の素晴しき民族性は感謝と云ふから始つてゐるのである。
今、此の感謝と云ふものが悲しいかな民主主義と云ふ美名の基に施された權利のみを主張する個人主義が、全ての物事への感謝を稀薄にさせ日本民族の持つ美徳を徐々に破潰、誇と云ふものを無くさせてしまつたのである。
つい先日、限界集落山口県周南市金峰(みたけ)で起きた五人殺害放火事件は民族の美徳が稀薄に成つた事に原因してゐる。 確かに殺害放火は許され戲る事では有るが、そこへ至までに大きな問題が有り起る可きして起きた事件であり、民族の美徳が發揮されてゐれば此のような獵奇的事件に發展する事は無かつたのだ。
曰はば若者が率先し行動する事は當然の事では有るが、其に對し感謝の言葉一つあれば此のやうな事は決して起きる事は無かつた。
決して限界集落のみに起きる事では無く、現在問題と成つてゐる苛め問題、高齡者への振込め詐欺問題、亦、全ての理不盡な社會問題は、是の民族性が稀薄に成った事が原因と云へるであらうと訴へた。
西葛西驛南口
定例演説會
紀元二千六百七十三年七月二十八日
登壇辯士
愛倭塾會長付 小林 弘典 辯士
愛倭塾理事長 平田佐喜雄 辯士
國士館大學學生 松田 晃平 辯士
盛道烈士會會長 盛 義一 辯士
愛倭塾會長付 小林 弘典 辯士
愛倭塾理事長 平田佐喜雄 辯士
愛倭塾會長 山口 秀明 辯士

先月は都議撰の爲め演説會開催が叶はず、二カ月ぶりの開催と爲つた。
今囘は國士館大學の有望な學生松田君が參加したいと訪れ、久し振りに盛道烈士會盛會長にも參加して戴いた。

小林辯士は何時も乍ら日本の國體原理である神道に示される臣民が持つ可き道義道徳は如何なるものであり將又如何に發揮す可きか尠々話しは固いが熱く語る。

平田辯士は道義道徳は日本民族の誇であり他民族には如何にしても體得し得ぬものであると熱く語り、日本民族の素晴しさ、優れた民族性をこんこんと談り諭すやうに訴へてゐた。

松田辯士は今囘の參議院選擧結果を振返り自民黨壓勝に大きな懸念を抱くものでは有るが、野黨の腑甲斐なさは野黨黨首全てが國を思ふ志の希薄極はまりない事に驚くばかりである。夫夫の黨首が談る稚拙極はまりない話しは國を如何に良くするには如何しなければ爲らぬのかではなく、議席が一つ二つ増えた事に如何にも國民全てが支持したかのやうに自慢氣に話すのである。此は日本の未來を懸念す可き出來事だと聲を大にし訴へる。

久々に登壇した盛辯士は參議院撰の結果を期待する事は出來ぬと談り。何故に自民黨一黨だけが勝利したかのやうに爲つたか、考へれば民主黨が政權を取つた時期、國民は民主黨に期待してゐたかと云へば誰一人として期待はしてゐなかつた。今亦、以前と同じく期待するものはをらず消去法で取り敢へず殘つただけで決して自民黨を支持したのではない。では如何にす可きかは日本の歴史上に名を馳せる多くの偉人に學ぶ言葉から拔萃し聽衆に訴へた。

本日二度目の登壇となる小林辯士は、通行人が愛倭塾の倭と云ふ字がどの樣な意味をもつものか知つて居るのかと問はれた事に對し壇上から説明をしてゐた。
是は支那、朝鮮が日本人を貶しめる言葉の一つとして使はれた事は史實の中で十分に理解してゐるが、何も其の誹りを日本人が認める必要は無い。支那、朝鮮から觀て當時の日本は決して劣つてゐた譯ではなく、逆に民族性や道義心には優れていたのである。現在の支那の挑撥や韓國の反日攻勢を觀ても解るやうに其の根本は僻み、嫉み、誹謗中傷誹る爲めに使はれたものである。つまり夫々の民族より優れていたからこそ嫉まれるのであつて本當に劣つてゐるものに對しては云はぬであらう。
敢えて我々愛倭塾塾生は日本民族の素晴しさを報しめ、其を實踐する事で云はれのない中傷に打ち勝つ爲着けたものであると談る。

平田辯士も本日二度目の登壇に、自動販賣機の處で小錢がなく飮み物を買うに難儀する年輩者へ小林辯士が御茶を進呈したところ、鞄から大事に持ち歩く文章を出し、何も御禮が出來ないので爲めになる文章なので受け取つてくれと渡して行つた。其の内容は人として生きるに大切な教えが書かれてゐた。人と人の繋がり、眞心の美しさ、倭の意義を談った小林辯士の行いを讚へてゐた。
自畫自讚であらうが同じ志を持つ者の行爲を誇らしげに思ふ話しであつた。

山口辯士は社會問題と爲つてゐる獵奇的事件を取上げ、本來の民族性に戻る事で全てと云へる程に解決するだらうと談る。
本來日本の國體と云ふものは天照大御神が居り大神を支える八百萬の神々が存在すると云ふものが國體の基礎である。
現代に於いては天照大御神の直徑が 天皇陛下であり、八百萬の神々の末裔子孫が臣民である。つまり、日本國民全てが八百萬の神々何れかの末裔子孫に爲るのである。 是が日本の國體其のもので、抑、神の思召に感謝する事から始るのであつて、御成敗式目にある「神は人の敬ひによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」敬ひこそ感謝其のものである。神は其の威を以て更に臣民に徳をなし運を添ふのである。日本語の最も美しい言葉は「ありがたう御座ひます」であるとされてゐるが、是は感謝の言葉である。 日本人の素晴しき民族性は感謝と云ふから始つてゐるのである。
今、此の感謝と云ふものが悲しいかな民主主義と云ふ美名の基に施された權利のみを主張する個人主義が、全ての物事への感謝を稀薄にさせ日本民族の持つ美徳を徐々に破潰、誇と云ふものを無くさせてしまつたのである。
つい先日、限界集落山口県周南市金峰(みたけ)で起きた五人殺害放火事件は民族の美徳が稀薄に成つた事に原因してゐる。 確かに殺害放火は許され戲る事では有るが、そこへ至までに大きな問題が有り起る可きして起きた事件であり、民族の美徳が發揮されてゐれば此のような獵奇的事件に發展する事は無かつたのだ。
曰はば若者が率先し行動する事は當然の事では有るが、其に對し感謝の言葉一つあれば此のやうな事は決して起きる事は無かつた。
決して限界集落のみに起きる事では無く、現在問題と成つてゐる苛め問題、高齡者への振込め詐欺問題、亦、全ての理不盡な社會問題は、是の民族性が稀薄に成った事が原因と云へるであらうと訴へた。
by iamhide3897
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