
虚け者のぼやき
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北海道
墓參訪道
紀元二千六百七十四年五月三十一日

一年振の訪道だ。幼少の頃育つた北の大地北海道
は相變らず空の青さ、緑の爽やかな美しさ、遙かに
霞む山々何をとつても雄大である。
今囘訪道の目的は義父河野喜春大人命の法事であ
る。義母上友子は、此處數年足が弱り墓前へ參る
ことが出來ないと言ふ。御年八十四にて可なり身體
も弱り歩くことが苦痛になつたとのことである。
相州に在する小生、事あるごとに行くことは容易く
出來ることではない。
今年は義母を車で墓前へ連れ御參りすることを
計畫。本來物の序でにする事は不作法とされてゐる
が、そう容易に幾度も來ることは出來ないと幼少時
代御世話になつた大和小中學校校長大澤勘太郎先生
竝び御内儀ヨシ樣そして同級生の御尊母村上禮樣の
墓前にて追福しやうと考へた。
物の序でではいけないものと言われたが、形だけ
でもと義父の法事前に濟ませることとし七月
一日に全てを廻ることにした。
勘太郎先生には腕白坊主と言へば聞えはいいが單
なる惡餓鬼だつた小生、御手數を掛けたこと數知れ
ず。亦、御内儀ヨシ樣には小學校四年の時、小生の
勘違ひから内田先生に叱られ、勘違ひと思つてもゐ
なかつた小生、元來の惡餓鬼振りを發揮、惡態を
吐き、更に内田先生の怒を買ふはめとなつた。
當然の如く家に歸れば母にこっ酷く叱られデレキ
(ストーブの灰を掻出す先が鉤状になつた鐵棒)
で投ぐられた。當然納得行かない小生、四邊構はず
怒を遷すのだつた。その時御内儀ヨシ樣はひとつ
ひとつ細く小生の勘違ひを説明。誤解を解き諭して
戴いた事は未だ忘れませむ。その時は優しいおばさ
んだなと思つたものです。
亦、同級生の御尊母村上禮さんは家内に言はせる
と戀敵ださうである。尤も冗談であるが、享年九十
歳と云ふ高齡にありながら亡くなる數日前、小生
洞爺湖サミットの會場ウインザーズホテルを視察し
、その足で家内と共に養老院を訪れた。其の際、
素早く林檎の皮を剥き御馳走して暮れたのだ。
家内共々非常に驚いた程である。
何故、小生が同級生の母親の見舞に養老院を訪れ
るかと言へば、この同級生盆暮の挨拶状を出しても
一度として返つて來た事は無い。その代はりに母親
の禮さんが必ず返して頂いた。それ以來、禮さんは
小生の文通相手となつてゐたこともあり、家内の
戀敵發言となつたのである。
閑話休題、小生の腕白惡童振りは右記した如くで
ある。學校の通學路に村上農場、三宅牧場、小林牧
場の畑があり、行きに歸りに畑の作物を採つて食べ
乍ら歩くのである。それもほぼ毎日、而もトマト等
甘みが足りなければ一口齧つただけで捨ててしまひ
次を採つて食べるのだ。
畑になるトマト、胡瓜、玉蜀黍、人參其の他諸々
、全てと言ふ程に食散らかすのだから農家にとつて
は熊、猿、鹿、カケスと言つた畑を荒す動物よりも
最惡の害獸であろう。
そんな害獸に怒つて然るべきであるが、禮さんに
叱られたことはない。

羆(ヒグマ)體長は日本に生息する陸棲哺乳類
(草食獣を含む)でも最大で平均すると四百五十
キログラム程であり最も大きいとされたものは八
百キログラムあつたと言われてゐる。且つ最も獰
猛な種で牛の頸を一撃の下に叩き折る兇暴性もあ
る。
体重は推定で約四百kg、立ち上がつて手を上げれ
ば高さは三mの超巨大羆(ヒグマ)「OSO18」と名
付けられた熊の被害が北海道で相次いでゐる。
亦、昭和四十五年、福岡大学ワンダーフォーゲ
ル同好会五名が必要に羆に襲はれ内三名が命を奪
はれた。
三人を襲ったと思はれる超巨大羆は「OSO」と
呼ばれその戰闘能力に住民は恐怖で震えた。夕
刻、現場付近に姿を現したところをハンターに寄
つて射殺されたが、二十發以上の弾丸を受けても
倒れなかったと記録されている。クマは四歳の雌
と推定された。

蝦夷鹿(エゾシカ)ニホンジカの亜種の中では最
大級の大きさで、最も重いもので百七十キログラ
ムに達する個體もゐる。因に蝦夷鹿は一日に五キ
ログラム程を食する大食漢である。

橿鳥(カケス)全長三十三センチ。成鳥は羽の色が
美しく特に基部は黒、白、青がだんだら模樣をな
し飛ぶ姿は非常に美しい。然し鳴き聲はギヤーギ
ヤーと疳高く見た目と違ひ品が無い。且つ食性は
雑食で昆虫類が主食だが果実、種子等も食べる。
他の小鳥のひなを食べることもある獰猛な鳥でも
ある。
ある秋、學校返りに禮さんに呼び止められた。
小生等は、當然こつ酷く叱られるであらうと覺悟し
た。
然し、禮さんはニコニコ微笑み乍ら今芋が蒸けた、
唐黍(とうきび)が茹で上がつた。食べなさいと言つ
て小生等が芋や唐黍(とうきび)を食べる姿を觀てゐ
た。そして徐に樣々な作物は土の惠み、陽の惠み、
自然の惠みがあつて更に農家の努力で出來る。だか
ら、あんた達も畑から採つて食べる時は自然の惠み
と農家の人達、そして、作物の命に感謝して食べな
さいと言つて微笑んだのです。
決して畑から採つて食べては駄目だと言わず、自
然と人々の努力、食物の命に感謝する事を教へて來
れたのです。
前記に記した校長先生の御内儀ヨシさん同樣、禮
さんもその時は優しいおばさんだと思つたものであ
る。
社會に出て樣々な經驗をし、初めて己の人間形勢
に大きな影響を與へた人物が、感謝しても感謝して
もし切れる恩ではなひと感ずる。
今、この恩人に報いるには、ただ墓參に行くので
はなく如何に己を人として成長させ後世に傳へるか
が恩人に報いる唯一のことだと痛感。
物の序でにもう一つ、小生が社會に出て初めて接
した恩人が、關東を後に今現在苫小牧に在住してゐ
ることが解り二十數年振に訪道初日會ふことが出來
た。互に數十年の年輪が顏に刻まれてはゐたが、思
ひ出話に花が咲き日にちの境を越えてしまつた。
このやうに今囘の訪道は四泊五日の旅であったが、
殆ど睡眠時間はなく酷く忙しい毎日だつた。然し、
その半面充實した日々を過すことが出來た。
by iamhide3897
| 2014-06-08 22:47
| ぼやき
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