
虚け者のぼやき
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先人に學べ
朝日新聞社長の
誤報謝罪會見を觀て
紀元二千六百七十四年九月十八日

東電原發事故の吉田調書誤報、從軍慰安婦強制連行誤報、池上彰コラム掲載問題に附き朝日新聞木村伊量(きむらただかず)社長が九月十一日謝罪會見を開いた。
この會見を觀て不思議な現象に違和感を覺える。朝日叩(たた)きに躍起(やつき)になつてゐる産經新聞、讀賣新聞も同じ穴の貉(むじな)であらう。風向きが變つたから便乘しただけに過ぎないのである。これは産經、讀賣新聞だけに留(とど)まらず全てのメディアに言へることなのだ。更に吐き氣を覺える如何(いかが)はしき輩(やから)は政治屋、評論家、コメンテーター、ジャーナリスト等と言はれる無責任窮(きわ)まりない生き物である。これまでに誤と知りながら毅然(きぜん)と誤を指摘する者など前記に擧(あ)げた者には只の一人も居らず。そどころか擁護(ようご)する者ばかりであつたのだ。風向き次第で如何様にも變る無責任窮まりない輩なのである。己の言葉に文字に全く責任を持つことのない輩なのである。
而(しかして)、その如何はしき輩が朝日新聞に對し責任追及をしてゐる。然し、己が容認して來た責任は如何にするのか。亦、朝日新聞に對し如何なる責任を取らせるのか。それが可能なことだとでも思つてゐるのか。まるで芸のない芸無人(げいのうじん)が楽屋ネタで笑いを取るが如(ごと)く低俗番組を觀てゐるが如きであつた。
今囘、明確にされたことは既に我々民族派而已(のみ)ならず、良識ある國民ならば疾(と)うに知り得てゐたものに過ぎない。責任追及と聲(こえ)を荒らげてゐる者の殆どが、その事實を知りながら目を背(そむ)け、己の利害に合せてゐたのである。
池上彰のコラム掲載問題にしても同じである。今迄に池上彰が從軍慰安婦強制連行に附いて知り得た情報を發信したことが或(あ)るだらうか。これも又朝日新聞の誤報と言ふ虚僞報道が表面化が大きく傾いて來たことで、風向きが變り便乘しただけのことである。尤もその風向きにすら乘れぬ程、勝手な持論を史實の如く公言してゐた田原総一朗などよりは自浄作用の働く池上彰の方が幾分ましである。
閑話休題、この問題は責任責任と非建設的なことを擧げても何の解決にもならず、非を認めたならばその誤ち全てを解明訂正二度と發(おこ)らぬやう建設的解決へ繋(つな)ぐ可(べ)きである。
この記者會見の場にて建設的發言が全くないことに、日本人の民族性が全く現はれてゐないことに違和感を覺えるものである。
日本の御國柄(おくにがら)、民族性は神代の時代から變らず、何事も受容れ風土傳統文化に照し合せ改善して來たことにある。歴史を辿れば佛教、耶蘇教、儒教は全て受容れられ、日本流に改善されたものが廣まつてゐる。
例へるならば、儒教に關して餘りにも缺陷(けつかん)が多く、山崎闇斎(やまさきあんさい)先生、門人の浅見絅斎(あさみけいさい)先生等により日本の傳統文化に照し合せ確率され崎門學(きもんがく)とされたものである。
確かに孔子を始祖とし思考・信仰の体系を發展させた。然し、朝鮮半島を經て日本に傳はつてから改善されたものが、在(い)ま現在支那が確立したが如く言われる儒教なのである。
このやうに何事に於ても嚴肅に誤ちは誤ちとし訂正し、日本の神代からの教へ傳統文化に照し合せ改善繁榮して來た史實が儼然(げんぜん)としてある。つまり何事に於ても建設的歴史を育んで來たのだ。
誤報謝罪會見を觀て
紀元二千六百七十四年九月十八日

東電原發事故の吉田調書誤報、從軍慰安婦強制連行誤報、池上彰コラム掲載問題に附き朝日新聞木村伊量(きむらただかず)社長が九月十一日謝罪會見を開いた。
この會見を觀て不思議な現象に違和感を覺える。朝日叩(たた)きに躍起(やつき)になつてゐる産經新聞、讀賣新聞も同じ穴の貉(むじな)であらう。風向きが變つたから便乘しただけに過ぎないのである。これは産經、讀賣新聞だけに留(とど)まらず全てのメディアに言へることなのだ。更に吐き氣を覺える如何(いかが)はしき輩(やから)は政治屋、評論家、コメンテーター、ジャーナリスト等と言はれる無責任窮(きわ)まりない生き物である。これまでに誤と知りながら毅然(きぜん)と誤を指摘する者など前記に擧(あ)げた者には只の一人も居らず。そどころか擁護(ようご)する者ばかりであつたのだ。風向き次第で如何様にも變る無責任窮まりない輩なのである。己の言葉に文字に全く責任を持つことのない輩なのである。
而(しかして)、その如何はしき輩が朝日新聞に對し責任追及をしてゐる。然し、己が容認して來た責任は如何にするのか。亦、朝日新聞に對し如何なる責任を取らせるのか。それが可能なことだとでも思つてゐるのか。まるで芸のない芸無人(げいのうじん)が楽屋ネタで笑いを取るが如(ごと)く低俗番組を觀てゐるが如きであつた。
今囘、明確にされたことは既に我々民族派而已(のみ)ならず、良識ある國民ならば疾(と)うに知り得てゐたものに過ぎない。責任追及と聲(こえ)を荒らげてゐる者の殆どが、その事實を知りながら目を背(そむ)け、己の利害に合せてゐたのである。
池上彰のコラム掲載問題にしても同じである。今迄に池上彰が從軍慰安婦強制連行に附いて知り得た情報を發信したことが或(あ)るだらうか。これも又朝日新聞の誤報と言ふ虚僞報道が表面化が大きく傾いて來たことで、風向きが變り便乘しただけのことである。尤もその風向きにすら乘れぬ程、勝手な持論を史實の如く公言してゐた田原総一朗などよりは自浄作用の働く池上彰の方が幾分ましである。
閑話休題、この問題は責任責任と非建設的なことを擧げても何の解決にもならず、非を認めたならばその誤ち全てを解明訂正二度と發(おこ)らぬやう建設的解決へ繋(つな)ぐ可(べ)きである。
この記者會見の場にて建設的發言が全くないことに、日本人の民族性が全く現はれてゐないことに違和感を覺えるものである。
日本の御國柄(おくにがら)、民族性は神代の時代から變らず、何事も受容れ風土傳統文化に照し合せ改善して來たことにある。歴史を辿れば佛教、耶蘇教、儒教は全て受容れられ、日本流に改善されたものが廣まつてゐる。
例へるならば、儒教に關して餘りにも缺陷(けつかん)が多く、山崎闇斎(やまさきあんさい)先生、門人の浅見絅斎(あさみけいさい)先生等により日本の傳統文化に照し合せ確率され崎門學(きもんがく)とされたものである。
確かに孔子を始祖とし思考・信仰の体系を發展させた。然し、朝鮮半島を經て日本に傳はつてから改善されたものが、在(い)ま現在支那が確立したが如く言われる儒教なのである。
このやうに何事に於ても嚴肅に誤ちは誤ちとし訂正し、日本の神代からの教へ傳統文化に照し合せ改善繁榮して來た史實が儼然(げんぜん)としてある。つまり何事に於ても建設的歴史を育んで來たのだ。
その素晴しき古(いにしえ)の教へに背くことが平然と公の場に於て行はれてゐることに大きな違和感を覺えるのである。
悠久の歴史を育んで來た先人が今の世を觀た時何と言ふだらう屹度(きつと)「御前達は先人の育んだものを蔑(ないがしろ)にし安易な方へと舵をきるのか、それでも日本人か」と言ふであらう。
これを正すには某團體の重鎭が言ふ「國の起源を思ふ若者に未來を託す」何を言わむとするか、悠久の歴史を學び、日本の傳統文化を孜々營々(ししえいえい)と築き上げて來た先人達に感謝の心を持てる若者を育てこれからの未來を託す事が、多くの時間と大きな勞力を費いやすることになるであらうが確實に皇國の中興復古(ちゆうこうふつこ)へ繋がるであらう。
これを正すには某團體の重鎭が言ふ「國の起源を思ふ若者に未來を託す」何を言わむとするか、悠久の歴史を學び、日本の傳統文化を孜々營々(ししえいえい)と築き上げて來た先人達に感謝の心を持てる若者を育てこれからの未來を託す事が、多くの時間と大きな勞力を費いやすることになるであらうが確實に皇國の中興復古(ちゆうこうふつこ)へ繋がるであらう。
by iamhide3897
| 2014-09-18 03:42
| 大和舎
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