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◎ 厚木驛南口演説會
皇國同志會
本厚木驛南口
定例演説會
紀元二千六百七十五年三月十五日
☆登壇辯士☆
☆皇國同志會會長 花上 功 辯士
☆愛倭塾理事長 平田佐喜雄 辯士
☆愛倭塾會長 山口 秀明 辯士
☆皇國同志會本部長 川原 弘幸 辯士


定刻十四時、花上會長の主張から演説會は始つた。
花上會長は、此處最近話題と爲つてゐる安倍總理の「戦争責任」見解を所信表明で何を話すかが問題となつてゐる。此の事に附いて説いてゐた。
確かに惡しき者は謝罪す可き事だが、云はれなき事まで謝罪するのは理に反する事であり、己を欺く最も恥づ可き行爲であらうと説いてゐた。
此の云はれなき要求は全て東京軍事裁判からなる歴史觀に依つて偏向された近隣諸國の主張に過ぎない。
抑も、東京軍事裁判自體が戰勝國の自國正當化をする爲の裁判であり何等國際法に則つたものではなく捏造された裁判であつた。此は當時此の裁判を行つたGHQ最高司令官ダグラス・マツカーサーや裁判官の一人だつた印度のパール判事が後に證言してゐる。
會津の教へにあるやうに爲らぬものは爲りませぬ、惡しきは素直に認め正は曲げて爲らぬと云ふ事を確りと考へ治さなければ何時までも卑屈なものとなるでせうと訴へてゐた。

平田辯士は、日本の道義道徳は如何なる國にも優るものがある。
神代の時代から受繼がれた悠久理歴史が物語つてゐる。人皇の世に爲つて 神武天皇が世界に向け發信したのは八紘爲宇つまり世界平和と云ふ事であり日本臣民は其の牽引者と成れと云ふ事である。
にも拘はらず現代の日本世上は如何なるものかと云へば、川崎の中學生殺傷事件、教師の淫行事件、爲政者ともあらう者が妻子ある同僚議員と淫な行爲を公然と行つた。等と算へれば限りの無い程、考へられない事件が續發してゐる。
此は全て我我日本に傳はる精神文化を蔑にする教育の結果であらう。日本に生れ日本に育つた事に自覺も誇も持つ事のない人間が美しい日本を作り傳へる事など出來よう筈はない。今一度考へ直さなければ爲らぬ時ではないかと説く。

山口辯士は、今現在日本に起きてゐる樣樣な事、考へて見て戴きたい。縷縷辯士が壇上から訴へた事は全て、本來日本のある可き姿ではない事から始つてゐる。
テレビ新聞などに取上げられてゐるアイシル、イスラム原理主義を訴へる集團は邦人二名を拘束殺害した。更に「日本は惡夢に暴される事になる」と表明した。此は殺害された二名の邦人が例へ反日活動家極左であらうが、
天皇陛下の赤子には變りなく、赤子を殺害したと云ふ事は明確な日本の敵だと云ふ事に疑ふ餘地はない。而、彼等アイシルは宗教的思想に依つて行動してゐる。と云ふ事は、日本に宣戰布告をしたとなれば神道に於て何處を狙ふかと云へば當然の如く宮城であり 天皇陛下を標的にして來る事は至極當然であらう。
此は、決して有つては爲らぬ事であり、國體護持をもつてすれば、如何なる事が有つても死守せねば爲らぬ事である。では我我臣民が宮城警護が出來るのかと云へば皇宮警察、警視廳、機動隊、更には自衞隊が警護に當る事であり、我我臣民の入る餘地はなひだらう。では我我臣民の出來る事は何かと云へば、意識、感心を全ての國民が持つ事であらう。
常に國體護持を心掛け共に細心の注意を怠らぬ事が萬全の抑止力になるであらう。
然し、現在報道される國會中繼を見れば、民主黨の稚拙な荒ら搜し、揚足取り、誹謗中傷と何かを為し得るため努力する姿には決して見えず、全く呆れ果てるものである。
元來日本の持つ抑止力は財力でも軍事力でもなく白人社会が最も恐れた君民一體の擧國一致である。即ち、 天皇陛下の下、國民が一致團結し難題に立向ふ姿こそ日本が持つ最大の抑止力なのである。
現在日本の置かれた窮地には、くだらぬ政治屋の利權爭いやメイデアの誘導に惑はされる事なく、本來日本人の持つ可き姿を取戻す事が此の窮地を乘り越える手段であらう。
本日は東日本大震災の被災地石卷へ災害復興支援の爲め、 天皇皇后兩陛下が行幸爲されてゐる。 被災者の目線に立ち、其の生活を見て苦汁を知る事から御言葉を掛け勵ましてゐる。 被災者にとつてどれ程の勵ましになるか。行政のいい加減な支援など問題にならぬ程の力を與へて戴いたと支援者の聲である。
亦、此の平成二十七年四月八日、パラオ共和國からの招請に戰後七十年が經ち初の
天皇陛下竝び皇后の巡幸が確定され、出發なされる。能く能く喜ばしい事である。
此のパラオ共和國は十六世紀からスペイン、ドイツの植民地だつたが大正八年からベルサイユ宮殿に於けるパリ講和條約により日本が委託統治となつた關はりの深い國である。
大東亞戰爭に依つて南洋海域の島島では、連合國と日本の間だにて壯絶な激戰が繰り廣げられ、玉碎した島島が多くあつたが、パラオ共和國のペリリュー島では
日本軍戰死者一万六百九十五名
捕虜 二百二名
亞米利加軍戦死者 一千七百九十四名
戦傷者 八千十名
此の他、守備隊の烈しい抵抗に精神に異常をきたした者が數千名出ると云ふ、激戰があつた處である。
中川州男大佐率ゐるペリリュー島守備隊は、此の戰の中、武器彈藥食料が盡き何度も指令本部に玉碎を打信したが、本土への空爆を沮止する爲め死守せよとの命令に七十三日間にも及ぶ激戰を行つた。最後には守備隊長中川州男大佐、師団派遣参謀村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を傳へる「サクラサクラ」の電文が送られた。
此の戰の前、米英聯合艦隊の總攻撃があるとしてペリリュー島住民は「貴方達と地もに戰はして欲しい」と進言したが、中川州男守備隊長は激昂し「貴樣等土人と賤しくも帝國軍人が戰へるか、歸れ」と叫んだ
住民は皆今迄友達、仲間、家族と親しくして來たのは僞りか、欺いてゐたのかと悔し涙を流し歸つたさうです。
島民の強制疎開が空襲を避ける爲め行はれ、夜疎開船に島の住民達は泣乍ら、悄然と船に乘込んだ。今迄仲間、友達、家族と共に働き、歌ひ、寢食を共にした日本人は見送りに來ないと嘆いた。
然し、船が岸壁を離れた瞬間、暗闇の向うに月の光に照され、何時も共に歌つた唄を歌ひながら、手を振る中川州男守備隊長を先頭に全ての日本兵がゐた。
其の時初めて「貴樣等土人と賤しくも帝國軍人が戰へるか、歸れ」と激昂したのは島の住民を戰火に交へる事なく救ふ爲めだつたのかと悟つた。
其の結果島の住民は一人として死傷者を出す事なく無事七十三日間の戰ひの後、島へ歸る事が出來た。
疎開から島へ歸つた住民は其の光景に愕然とした。島中に散亂する日本兵の屍體、共に働き、共に歌ひ、寢食を共にし最後には命を救ふ爲嘘まで附いて守つてくれた者達の無慙な姿。島民達は涙を流しながら遺體を集め手厚く埋葬した。
其の墓は未だパラオ國民に依つて懇ろに守られてゐる。
パラオが戰後獨立しパラオの國旗が日本の國旗に極めて酷似してゐるのも其の事が有つたからである。
此のやうなパラオ共和國へ慰問の爲め巡幸なされる事は、パラオの住民ペリリュー島の住民を戰火から守り、日本を守る爲め尊い命を散華させた英靈、延いては日本臣民を常に御忘れなく居て下された事に感謝す可きと訴へた。

本厚木驛南口
定例演説會
紀元二千六百七十五年三月十五日
☆登壇辯士☆
☆皇國同志會會長 花上 功 辯士
☆愛倭塾理事長 平田佐喜雄 辯士
☆愛倭塾會長 山口 秀明 辯士
☆皇國同志會本部長 川原 弘幸 辯士


定刻十四時、花上會長の主張から演説會は始つた。
花上會長は、此處最近話題と爲つてゐる安倍總理の「戦争責任」見解を所信表明で何を話すかが問題となつてゐる。此の事に附いて説いてゐた。
確かに惡しき者は謝罪す可き事だが、云はれなき事まで謝罪するのは理に反する事であり、己を欺く最も恥づ可き行爲であらうと説いてゐた。
此の云はれなき要求は全て東京軍事裁判からなる歴史觀に依つて偏向された近隣諸國の主張に過ぎない。
抑も、東京軍事裁判自體が戰勝國の自國正當化をする爲の裁判であり何等國際法に則つたものではなく捏造された裁判であつた。此は當時此の裁判を行つたGHQ最高司令官ダグラス・マツカーサーや裁判官の一人だつた印度のパール判事が後に證言してゐる。
會津の教へにあるやうに爲らぬものは爲りませぬ、惡しきは素直に認め正は曲げて爲らぬと云ふ事を確りと考へ治さなければ何時までも卑屈なものとなるでせうと訴へてゐた。

平田辯士は、日本の道義道徳は如何なる國にも優るものがある。
神代の時代から受繼がれた悠久理歴史が物語つてゐる。人皇の世に爲つて 神武天皇が世界に向け發信したのは八紘爲宇つまり世界平和と云ふ事であり日本臣民は其の牽引者と成れと云ふ事である。
にも拘はらず現代の日本世上は如何なるものかと云へば、川崎の中學生殺傷事件、教師の淫行事件、爲政者ともあらう者が妻子ある同僚議員と淫な行爲を公然と行つた。等と算へれば限りの無い程、考へられない事件が續發してゐる。
此は全て我我日本に傳はる精神文化を蔑にする教育の結果であらう。日本に生れ日本に育つた事に自覺も誇も持つ事のない人間が美しい日本を作り傳へる事など出來よう筈はない。今一度考へ直さなければ爲らぬ時ではないかと説く。

山口辯士は、今現在日本に起きてゐる樣樣な事、考へて見て戴きたい。縷縷辯士が壇上から訴へた事は全て、本來日本のある可き姿ではない事から始つてゐる。
テレビ新聞などに取上げられてゐるアイシル、イスラム原理主義を訴へる集團は邦人二名を拘束殺害した。更に「日本は惡夢に暴される事になる」と表明した。此は殺害された二名の邦人が例へ反日活動家極左であらうが、
天皇陛下の赤子には變りなく、赤子を殺害したと云ふ事は明確な日本の敵だと云ふ事に疑ふ餘地はない。而、彼等アイシルは宗教的思想に依つて行動してゐる。と云ふ事は、日本に宣戰布告をしたとなれば神道に於て何處を狙ふかと云へば當然の如く宮城であり 天皇陛下を標的にして來る事は至極當然であらう。
此は、決して有つては爲らぬ事であり、國體護持をもつてすれば、如何なる事が有つても死守せねば爲らぬ事である。では我我臣民が宮城警護が出來るのかと云へば皇宮警察、警視廳、機動隊、更には自衞隊が警護に當る事であり、我我臣民の入る餘地はなひだらう。では我我臣民の出來る事は何かと云へば、意識、感心を全ての國民が持つ事であらう。
常に國體護持を心掛け共に細心の注意を怠らぬ事が萬全の抑止力になるであらう。
然し、現在報道される國會中繼を見れば、民主黨の稚拙な荒ら搜し、揚足取り、誹謗中傷と何かを為し得るため努力する姿には決して見えず、全く呆れ果てるものである。
元來日本の持つ抑止力は財力でも軍事力でもなく白人社会が最も恐れた君民一體の擧國一致である。即ち、 天皇陛下の下、國民が一致團結し難題に立向ふ姿こそ日本が持つ最大の抑止力なのである。
現在日本の置かれた窮地には、くだらぬ政治屋の利權爭いやメイデアの誘導に惑はされる事なく、本來日本人の持つ可き姿を取戻す事が此の窮地を乘り越える手段であらう。
本日は東日本大震災の被災地石卷へ災害復興支援の爲め、 天皇皇后兩陛下が行幸爲されてゐる。 被災者の目線に立ち、其の生活を見て苦汁を知る事から御言葉を掛け勵ましてゐる。 被災者にとつてどれ程の勵ましになるか。行政のいい加減な支援など問題にならぬ程の力を與へて戴いたと支援者の聲である。
亦、此の平成二十七年四月八日、パラオ共和國からの招請に戰後七十年が經ち初の
天皇陛下竝び皇后の巡幸が確定され、出發なされる。能く能く喜ばしい事である。
此のパラオ共和國は十六世紀からスペイン、ドイツの植民地だつたが大正八年からベルサイユ宮殿に於けるパリ講和條約により日本が委託統治となつた關はりの深い國である。
大東亞戰爭に依つて南洋海域の島島では、連合國と日本の間だにて壯絶な激戰が繰り廣げられ、玉碎した島島が多くあつたが、パラオ共和國のペリリュー島では
日本軍戰死者一万六百九十五名
捕虜 二百二名
亞米利加軍戦死者 一千七百九十四名
戦傷者 八千十名
此の他、守備隊の烈しい抵抗に精神に異常をきたした者が數千名出ると云ふ、激戰があつた處である。
中川州男大佐率ゐるペリリュー島守備隊は、此の戰の中、武器彈藥食料が盡き何度も指令本部に玉碎を打信したが、本土への空爆を沮止する爲め死守せよとの命令に七十三日間にも及ぶ激戰を行つた。最後には守備隊長中川州男大佐、師団派遣参謀村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を傳へる「サクラサクラ」の電文が送られた。
此の戰の前、米英聯合艦隊の總攻撃があるとしてペリリュー島住民は「貴方達と地もに戰はして欲しい」と進言したが、中川州男守備隊長は激昂し「貴樣等土人と賤しくも帝國軍人が戰へるか、歸れ」と叫んだ
住民は皆今迄友達、仲間、家族と親しくして來たのは僞りか、欺いてゐたのかと悔し涙を流し歸つたさうです。
島民の強制疎開が空襲を避ける爲め行はれ、夜疎開船に島の住民達は泣乍ら、悄然と船に乘込んだ。今迄仲間、友達、家族と共に働き、歌ひ、寢食を共にした日本人は見送りに來ないと嘆いた。
然し、船が岸壁を離れた瞬間、暗闇の向うに月の光に照され、何時も共に歌つた唄を歌ひながら、手を振る中川州男守備隊長を先頭に全ての日本兵がゐた。
其の時初めて「貴樣等土人と賤しくも帝國軍人が戰へるか、歸れ」と激昂したのは島の住民を戰火に交へる事なく救ふ爲めだつたのかと悟つた。
其の結果島の住民は一人として死傷者を出す事なく無事七十三日間の戰ひの後、島へ歸る事が出來た。
疎開から島へ歸つた住民は其の光景に愕然とした。島中に散亂する日本兵の屍體、共に働き、共に歌ひ、寢食を共にし最後には命を救ふ爲嘘まで附いて守つてくれた者達の無慙な姿。島民達は涙を流しながら遺體を集め手厚く埋葬した。
其の墓は未だパラオ國民に依つて懇ろに守られてゐる。
パラオが戰後獨立しパラオの國旗が日本の國旗に極めて酷似してゐるのも其の事が有つたからである。
此のやうなパラオ共和國へ慰問の爲め巡幸なされる事は、パラオの住民ペリリュー島の住民を戰火から守り、日本を守る爲め尊い命を散華させた英靈、延いては日本臣民を常に御忘れなく居て下された事に感謝す可きと訴へた。

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