
虚け者のぼやき
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虚け者のぼやき!!
薄れ行く
素晴らしき日本傳統文化

令和四年(紀元二千六百八十二年)二月十一日

先日、夕食時に妻と話したことだが、現代の禮儀作法(れいぎさほ
う)に付いてだ。偶々(たまたま)テレビの時代劇ドラマが映し出され
てゐて、その作作(しよさ)に妻が噛み付いた。座布団の敷き方、畳
の縁に座る、敷居を踏む等だが、妻が噛み付いた処であるが、
藤田まこと主演三十數年前の時代劇、必殺仕事人の中でその家の
主人が食事をする場面があり、主人がお替(か)はりを望む場面が
あるが事もあらうに奥方は自分でよそへと言ふ、現代なら大いに
有り得(え)る事だがその時代には絶對(ぜつたい)に有り得ないこと
である。
それは面白くする爲(ため)にしたものであらう。然し、このよう
に古いドラマは現在作られてゐる時代劇とは違ひ言葉遣(ことばづか
い)ひ、全てに渡り正しい所作(しよさ)が執られてゐた。
食事が不味くなるので止そうと言つたのだが、妻曰(つまいわ)く
時代劇ドラマを作る側が知らずに不作法(ぶさほう)をしてゐるのか
、それとも面白ければそれで良しとしてゐるのか問題だと言ふ。
右前文ならば、制作者(せいさくしゃ)の勉强不足、況(ま)してや
時代劇ならば必ず禮儀作法(れいぎさほう)所作(しよさ)の指導者が
居る筈であらうと云(い)ふ。にも不拘(かかはら)ず不作法ならば、
結果的に日本の傳統(でんとう)文化の破壊では無いのかと言ふ。
後文成れば正に意圖的(いとてき)な文化の破壊であらう。
高齢者若しくは禮儀作法(れいぎさほう)所作(しよさ)を學ん(ま
なん)だ人間、若しくは茶道、花道、和歌、俳句などを學んだ人間
ならば自ずと解ることだが、時代劇ドラマなのだから面白くする爲
にしてゐることと許してしまえば、若者達はそれが正しいことと信
じてしまうであらう。
一つの所作として取り上げれば手盆(てぼん)だが、手盆とは
食事の際溢さ(こぼさ)ぬやう掌(てのひら)を盆のやうに添(そ)
へる行爲で在るが、和食の作法では最もしては成らぬ下品な行爲と
去れてゐる。然し、何時の間にやら殆どの人が如何にも上品な作法
(さほう)の如く思はれてゐるのだ。
著しく目に付く不作法は言葉遣ひ、日本には丁寧語、敬語、
尊敬語とあるが、死語に成りつつある。
それも全てマスメディアでの畫像(がぞう)に映し出されたことが
原因であらうと思われる。
ほんの一つの不作法であるが、三十數年の時が経つた今どうであら
う。男尊女卑(だんそんじよひ)、女性蔑視(べつし)等の事案に載り
(の)面白(おもしろ)ければ何でもありの傾向にある。ソフトバンク
のコマーシャルは異常とも言へるものであらう。一家の大黒柱(だ
いこくばしら)主人が「犬」犬なのである。これが逆に主婦が犬や猫
だつたら大問題に成つてゐたであらう。
元法政大學教授、田嶋陽子女史などは氣が狂つたやうに目は血走
り唾を飛ばし反發(はんぱつ)するどころの騒ぎではなからうか。
然し、これで良ひのだらうか。
日本の美しく整えられた文化を面白ければそれで良しとするのは
如何(いかが)なものであらう。
昔、皇道振武館(こうどうしんぶかん)平川政明館長とフェリーの
中で食事を共にすることがあつた。その食事であるが筆者は決して
尠食(しようしよく)ではないと思ふ。否(いや)どちらかと言へば
大食漢(たいしよくかん)であると言へやう。然し、驚いたことに
とても食べきれる量ではないと思つたのだが、平川館長は會話を
しながら黙々と食べ、筆者は食べきれず殘してしまつたのだが、
館長は全て食べきつたのである。食後、茶を飲みながら「良く食べ
ますね」と言つたところ、「禮儀(れいぎ)ですから」との返事であ
つた。更に禮儀とはと聞くと、食事に拘はる全ての方々(かたがた)
への感謝ですと微笑み乍ら言ふ。
先ず御米(おこめ)は八十八夜の手間を掛け育てた御百姓さんへ、
肉、魚は牛豚を育てる酪農家の方々、魚は漁師さん、料理してくれ
る人、その他多くの人々の手を得て私達の口へと運ばれるものです
。とてもとても殘す等と言ふ非禮(ひれい)なことは出來ませんと言
はれました。正直なところ、實父に子供の頃、茶碗に殘した米粒の
ことで呵(しか)られたことを思ひ出し、悲哀感(ひそうかん)に苛
(さいな)まれたものである。
考へれば、日本人の性善説を基にした他を思ひやる日本の精神文
化そのものであらう。それを忘れてゐた己(おのれ)の至(いた)ら
なさを悔(く)やむばかりであつた。
毎日の食事でさえ、箸(はし)の持ち方、茶碗の持ち方、座り方など
作法(さほう)、所作(しょさ)、習慣を核家族化でお年寄りから學ぶ
ことが出來なく成つた。亦、畳の生活が椅子の生活に變(か)はつた
ことで日々(ひび)禮儀作法(れいぎさほう)が稀薄(きはく)になつて
ゐく、極め付けは野外を歩きながら物を食べる、食べ歩きである。
妻曰く子供の頃、祖母に叱られたのは大口を開けて女の子が笑ふも
のぢやありません行儀が惡ひと言われたとのことだ。つまらない
ことと見逃さず、氣をつけて見直さなくては成らないと強く懸念
(けねん)する。
今、未曾有(みぞう)の問題と成つてゐる新型コロナ感染症にして
も世界各國と比較しても日本の精神文化、禮儀作法(れいぎさほう)
が感染をかなりの割合で防いでゐると思はれる。
それは日本の畳文化(たたみぶんか)は家に入る際靴を脱ぐことで
外からの黴菌を遮断することへ繋がり、風呂へ頻繁(ひんぱん)に
入る習慣(しゅうかん)、手を洗ふ習慣等々(とうとう)が遮断する
働きをしてゐる。因みに支那では厠(かわや便所)へ行つても手を
洗ふことは無い、つまり衛生観念を持ち合はせてはゐないのだ。
亦、西欧文化でも躰が汚れてゐると自覺する迄風呂に入る習慣は
無く、厠も厨房も食事の場も同じ靴のままなのである。日本では
絶對(ぜったい)にあり得ない行爲で在る。
このやうなことを考へても如何に日本の文化は素晴らしいもので
あるか解るであらう。
その素晴らしい文化を我々日本人は疎(おろそ)かにして居るか胸
に手を當(あて)て考へ直さなければ成らない時期に來てゐるのだ。
by iamhide3897
| 2022-02-11 20:18
| ぼやき
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