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虚け者のぼやき


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集團自決の真實!!

沖縄戰における輯團自决




令和四年(二千六百八十二年)三月八日


集團自決の真實!!_e0209864_21273014.jpg
              戰艦大和  





 沖縄戰では、一般住民が輯團(しゆうだん)で自殺する行爲が發生

し、これを「輯團自决(しゆうだんじけつ)」と一般的に呼ばれた。

 主な事例としては、伊江村(いえそん)のアハシャガマ等約百人、

恩納村(おんなそん)十一人、讀谷村(よみたんそん)のチビチリガマ

など百二十一人以上、沖縄市美里三十三人、うるま市具志川十四人

、八重瀬町(やえせちよう)玉城七人、糸満市(いとまんし)、カミン

トウ壕など八十人、座間味島(ざまみとう)二百三十四人、慶留間島

(けるまじま)五十三人、渡嘉敷島(とかしきじま)三百二十九人 等と

されてゐる。

 然し、拙生が平成十八年十月御世話になつた先輩の式年祭(しき

ねんさい)の祀り(まつり)に沖縄を訪れた際、偶々(たまたま)先輩の

所属團體である某團體(ぼうだんたい)の演説會豫定(よてい)があり

沖縄縣民の意識に卑屈とも言へるものがある。何故にそのやうにな

つたかを話して欲しいと某團體(ぼうだんたい)の久保玉井清三會長

に言はれ、資料を輯め演説内容を思慮(しりよ)したことがある。

集團自決の真實!!_e0209864_21463959.jpg
         久保玉井 清三 會長


 拙生が沖縄の人々に接した際、若い人達は言ふことは殆ど無いが

壮年層の人は大半の人が「大和(やまと)んちゅーは沖縄を見捨てた

」と言ふ悲壮感を持つ者が多い。

 大東亞戰争終戰間際の沖縄戰に於いて見捨てられたことによつて

一般市民、死者數は推定九万四千人とされ、中には「輯團自决」

を選ばざる負へなかつた者も居たと涙する者すらゐた。

 拙生も戰後生まれにて實際(じつさい)のところ明確に答へること

出來ないが、父母、祖父母竝(なら)び諸先輩更に歴史書をむさぼ

讀んで、ある程度「輯團自决(しゆうだんじけつ)」のことは學ん

居たが、知人の紹介で座間味島の「輯團自决」に詳しい方は

居ないかと探し電話にて取材させて戴いた

 取材に應じて戴いたのは座間味島(ざまみとう)の亡くなつた宮城

初枝さんを良く知る人と言ふ御老人だつた。

 先ず最初に聞ひたのは「輯團自决(しゆうだんじけつ)」はあつた

のか、無かつたのか、亦、軍の命令だつたのかと言ふことだつた。

 宮城初枝さんの手記に依ると、と言ひ乍ら今は娘さんが村の人に

援護法適用對象にならなくなると詰寄られ書き換えてしまつた。

然し、書き換へる前のものとは全く違つてゐたと言ふ。

「輯團自决」と言ふ言葉は戰後、沖縄タイムスが刊行した『鉄の

暴風』の執筆者の一人である太田良博が、沖縄戰當時使はれてゐた

「玉砕」と言ふ用語を言い換へて做(つく)り出した言葉である。

 その『鉄の暴風』を讀み、取材もせず己の感覺、思ひ込みだけで

大江健三郎は『沖縄ノート』を發表し教科書に迄、如何にも事實の

如く掲載されてしまつたのである。

 然し、赤松元大尉の弟と梅澤元少佐は、大江健三郎の『沖縄ノー

ト』家永三郎の『太平洋戰争』に関し、名誉毀損による損害賠償、

出版差し止め、謝罪広告の掲載を求め、大江健三郎と岩波書店を

訴へるに至つた。

「輯團自决」に関しては樣々で「軍の命令だつた」とする意見や、

「強制があつた」や「関與があつた」とする曖昧な指摘が多く决定

的なものが無い、そればかりか否定する者も多く居た。

 渡嘉敷島に於ける赤松嘉次隊長の命令による輯團自决は曽野綾

の現地取材にて「神と違つて人間は、誰も完全な真相を知る

ことは出來ない」とし、「私は、直接の軆験から『赤松氏が、

自决命令を出した』と證言し、證明出來た當事者に一人も出會わな

かつた」と言ふより居なかつたとふ他はないとした。

 亦、座間味島の輯團自决は「米軍上陸後、絶望した島民たちが、

追い詰められて輯團自决(しゆうだんじけつ)の道を選んだものと解

つた」そこには宮城初枝さんが「梅澤少佐に自決を求めたが、

手榴弾は天皇陛下より御預かりした、敵を殲滅する爲のものであり

邦人を殺すものでは無い」と激昂し武器提供を断られた」と言

證言が掲載されてゐる。このことは、拙生が取材した人物の話にも

つたことだつた。

 曽野綾子氏の調査について、『沖縄縣史』の解説文で梅澤命令説

を記述した沖縄史料編輯所の大城将保主任專門員は、「曽野綾子氏

は、それまで流布してきた従來の説をくつがへした。『鉄の暴風』

や『戰闘概要』等の記述の誤記や矛盾點(むじゆんてん)などを丹念

に指摘し、赤松隊長以下元隊員達の證言をつき合はせて、自决命令

はなかつたこと、輯團自决(しゆうだんじけつ)の實態(じつたい)が

大江健三郎の『沖縄ノート』と沖縄タイムス社により可(か)なり

誇大化されてゐる點(てん)などを立證(りつしよう)した」述べ

た。

 前記に述べたことを踏まへ「大和(やまと)んちゅーは沖縄を

見捨てた」と言ふ思ひを否定する爲、日本國民である大切な沖縄

住民を救う爲に戰艦大和を中心とする最後の艦隊、昭和二十年四月

六日午後三時、戰艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」、その他

駆逐艦八隻が沖縄に向け、山口縣の徳山を出撃し、夕刻、大和

甲板では総員が輯合(しゆうごう)し、訓示の後「各自の故郷に向か

って挨拶せよ」との命令が出た。矢矧艦長は「生きて帰る事を躊躇

(ためら)つてはならない」と乗組員に説明してゐたと言はれて

ゐる。昭和二十四月七日午後十二時四十分から約二時間におよぶ

戰闘の結果、北緯三十度四十三分 東経百二十八度〇四分に大和が

沈没、相次ぎ矢矧、駆逐艦六隻が沈没し全艦隊、乗組員五千七百五

十名の内、戰死者総數は四千四十四名は殘念(ざんねん)乍ら(なが

ら)沖縄には辿り着くことはなかつたが、五千七百五十名の人間が

死の覺悟を持つて沖縄へ向かつたことだけは間違ひない。


集團自決の真實!!_e0209864_21294994.jpg
           戰艦大和の坊ノ岬沖海戦

         艦大和の最後




 大和はアメリカ軍の航空隊三百八十六機(戰闘機百八十機・

爆撃機七十五機・雷撃機百三十一機)もしくは三百六十七機による

波状攻撃を受けた。戰闘機も全機爆弾とロケット弾を装備し、

機銃掃射も加はつて、大和の對空火力を破壊した。ただし艦隊の

上空に到達して攻撃に参加したのは三百九機。その中から大和を

直接攻撃したのは百十七機(急降下爆撃機三十七機、戰闘機十五

機、戰闘爆撃機五機、雷撃機六十機)が壮絶な波状攻撃を繰り返し

約二時間におよぶ攻撃を繰り返され、沖縄へ届くことなく撃沈され

てしまつたのだ。

沖縄縣廳前にて「これがどうして見捨てたことになるのか」「何故

に五千七百五十名の人間が死の覺悟を持つて沖縄へ向かつたのか」

「命を懸け大切な沖縄を護る爲ではなかつたのか」と、立ち會

演説にて聲(こえ)を大にした。

 目の前はバスターミナル、その二階はオープンテラスの樣に成つ

てゐて観衆が大勢居て、拍手する者も多かつた。「輯團自决(しゆ

うだんじけつ)」「戰艦大和の海上特攻」「大和(やまと)んちゅーは

沖縄を見捨てた」と言ふことを話す最中聲(こえ)を詰まらせる場面

あつたが、拍手に救はれた。

 然し、拙生の聲(こえ)に拍手したのではなく妻が演説の手話通譯

をしてくれたことに多くの人が注目して戴けたのであつた。

 今から十六年前の思い出ではあるが、つい先日某ブログで「輯團

自决(しゆうだんじけつ)」の記事を眼にしたことに思ひ出してしま

たのである。





























by iamhide3897 | 2022-03-08 21:34 | 大和舎 | Trackback | Comments(0)
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